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作家と立ち食いそばが紡ぐ不思議な「奇縁」 故・坪内祐三の通った「スタンドそば」のいま

2021/02/02
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 作家の坪内祐三さんが亡くなって1年が経つ。

 圧倒的な記憶力。過ぎ去った記憶を糸のようにつむぎ、繊細でしなやかな絹布のように言葉を織り上げる。流れるような文章が記憶に残る。お会いしたことはなかった。酒豪であったことは有名のようだが、立ち食いそばの達人であったことはあまり知られていない。

 拙著「ちょっとそばでも」(廣済堂出版2013)を上梓した直後、編集担当の皆川秀さんから連絡があった。皆川さんは坪内祐三さん監修・解説の「蕎麦通・天麩羅通」 (廣済堂文庫2011)の編集をされていた。坪内さんからのメッセージがあるという。それは確か次のような内容だった。

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『昭和50年頃から通っていた神保町のすずらん通りにあった立ち食いそば屋が、ある時、忽然となくなってしまい残念に思っていたが、貴兄の書籍に記述のある虎ノ門の「峠そば」として営業していることがわかった』

坪内さんの行きつけだった「スタンドそば」

「峠そば」の若旦那に以前、聞いたことがあるのだが、確かに虎ノ門で平成5年に再開する前は神保町のすずらん通りの今はなき牛丼「たつ屋」の右隣、今のセブン-イレブンの左隣で営業していたという。その店名は「スタンドそば」だったという。

坪内さん行きつけの「スタンドそば」は神保町のすずらん通りのこのセブン-イレブンの左隣で営業していた

 すずらん通り時代の「スタンドそば」は、今の「峠そば」同様、たくさんの天ぷら種を選べるシステムで、店内には胡麻油の香りが漂っていたそうである。坪内さんはちょうど学生時代から社会人になった頃に通っていたのだと思う。かき揚げなどの天ぷらを2つ位のせた粋なそばを食べていたに違いない。

そばですよ(立ちそばの世界)」(本の雑誌社2018)の著者、作家の平松洋子さんは、その書籍中に「坪内祐三さんと早稲田界隈」を執筆されている。早稲田時代の坪内さんの青春の記憶を界隈のそば屋や商店街の記憶とともに鮮やかに蘇らせている。坪内さんが小学生の頃、立ち食いそばデビューしたという逸話も大変興味深い。なじみの店は下高井戸駅にあった店と経堂にできたショッピングセンターの地下の立ち食いそば屋だったというから恐れ入る。経堂の店は1年後に「梅もと」になったと記載されている。坪内さん、すごい記憶力である。

 東京都内の「スタンドそば」といえば、かつて虎ノ門にあった「鈴傳」の隣で営業していたディープな立ち食いそば屋で、日本橋神田界隈にも2、3店舗あったが、いまは、岩本町スタンドそばが残るのみである。蛇足だが、この系列店は東京の古参立ち食いそば店「六文そば」とも関係があったそうである。「峠そば」はそこと関係があったのだろうか。