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連載名画レントゲン

約100年前の坂道の名画 単なる「ただの道を描いただけ」にならない理由

岸田劉生『道路と土手と塀(切通之写生)』(1915年)

2021/02/10

 この絵はただの道を描いただけにも見えますが、人生は坂道に例えられることもあるように、「この坂の向こうには何があるのだろう?」という想いを抱かせるような印象深さがあります。

岸田劉生「道路と土手と塀(切通之写生)」1915年 油彩・カンヴァス 東京国立近代美術館所蔵

 この画面のインパクトはどのように生まれているのか? 要因として考えられるのは、画面中央に視線が集まる構図。坂道の最も高い部分が画面中央より少し上に設定され、そこに向かってすべての線状のものが求心的に集まっています。どこに目をやっても真ん中に視線が集まる仕掛け。

 しかも、その坂の頂上へ集まる線のバリエーションが豊富。鋭い角度で折れる塀の直線と石垣のでこぼこ、土のひび割れと草のギザギザ、土手のなめらかな輪郭とその上の植物が作る点線、そして空に浮かぶ雲の連なり。

 二つ目に、大胆なパーツ分けが挙げられます。画面上部は青、下部は土のオレンジがかった茶色で補色の関係になっています。そして塀の白さと土手の黒は、それぞれ画面内の最も明るい部分と暗い部分にあたり、左右でも対比を作っています。このように上下左右と4つの部分が明確に分かれているため、構成が捉えやすく記憶にもとどまりやすいのです。

 劉生は北方ルネサンスに影響を受け、この絵でも、手前の土のひび割れ、堅い土に埋まった石ころなどのリアルな表現に見られるように、画面全体を緻密に写実的に仕上げています。しかし右上の木々の葉には即興的な描写も見られます。また、日本美術史家の佐藤康宏氏は、この絵には「北斎らの切通を描いた浮世絵の影響があるのでは?」と推理。描き方にも題材にも、劉生の西洋古典を乗り越えて独自性を打ち出そうとする姿勢が見える気がします。

 この絵が描かれた場所は正確に特定されていて、どこかというと、なんと東京・代々木。下の写真は同じ場所の現在の様子です。実業家の岸田吟香を父に、宝塚歌劇団の演出家の辰彌を弟に持つ、銀座育ちの都会文化の申し子であった劉生は、初期には都会の風景をよく描きました。結婚後、1913年(大正2年)から住んだのが代々木で、そこで描いたのがこの絵。

劉生が描いた坂の現在の様子。坂の向こうには首都高速道路が。

 当時の代々木は畑や田んぼばかりで、劉生が移り住んだ頃には「新興住宅地」として開発が進んでいるところでした。前出の佐藤氏はこの絵に「都会の力と野の力がせめぎ合う接触点」があると指摘しますが、まさに代々木はそのような境目だったのです。

 画中に描かれている左の塀は山内侯爵邸のもので、2本の謎の影は電柱とその支柱であるとわかっています。都市化の象徴である電柱とその影が、道路の土のひび割れによってギザギザになっているさま。また、坂の奥まった先には土の盛り上がりが塀よりわずかに高くなっていて、そこに全ての線が集まっていること。これらは、自然の力はそんなに簡単には都市化の力に屈しないぞと言っているかのようです。この絵には、開発への不安と共に、土の底力への敬意が込められているのでしょう。

INFORMATION

「MOMATコレクション」
東京国立近代美術館 ~2月23日
https://www.momat.go.jp/am/exhibition/permanent20201103/

●美術館の開催予定等は変更になる場合があります。ご来館前にHPなどでご確認ください。

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