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「子どもも欲しい。親子で『バカ殿様』をやるのが夢なんだ」志村けんが愛弟子に語っていた結婚観

先行公開『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』#3

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 急逝した“笑いの王様”のプライベートの素顔とは――。昨年3月、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなったお笑いタレントの志村けんさん(享年70)。その志村さんの傍らに7年間365日ずっと付き添っていたのが、付き人兼ドライバーだった乾き亭げそ太郎氏(50)だ。

 現在は故郷・鹿児島でレポーターとして活躍するげそ太郎氏が、志村さんの一周忌を前に、著書『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』(集英社インターナショナル、2月26日発売)を刊行する。志村さんの知られざる私生活から笑いの哲学まで秘話が詰まった一冊から、一部を抜粋して先行公開する。(全3回の3回め/#1#2を読む)

生前の志村けんさん(左)と筆者の乾き亭げそ太郎氏(1998年、筆者提供)

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「世間のヤツらが高木(ブー)さんのことを…」

 思い返してみれば、志村さんは数えきれないほどたくさんのヒントを僕に与えてくれていました。

 たとえば『ドリフ大爆笑』の収録のとき、「ちょっと歩いてみろ」と突然言われたことがあります。コントのリハーサルで、通行人の役をやってみろと言われたのです。

 カメラの前を歩くのはそれが初めてだった僕は、これでもかというくらいに緊張しました。好きな人に告白するときよりも足が震えて、まともに歩けません。

「こんなに緊張するものなのか……」

 我ながら驚いたくらいです。そんな僕の様子を、志村さんはモニターで見ていました。

「緊張していたな」

「はい」

「世間のヤツらが高木(ブー)さんのことを『何もできない』とよく言ってるけど、普通に歩くのがどれだけ難しいことか。それをわかっていない連中が多いんだよな」

 僕は高木さんをすごい人だと思っていました。ですから、どうして志村さんがそんな話をしたのか、そのときはまるでわかりませんでした。

「志村さんのドリフターズ愛はやっぱりすごいんだなあ」

 と感じたくらいです。

 しかし今になって考えてみると、あれは僕への指導だったのかもしれません。カメラの前で普通に歩くのがいかに難しいか、これでよくわかっただろ? 今後ドリフのコントを見るときは俺だけじゃなく、他のメンバーがどう動いているのか、そこもよく見ておけよ――。そんなことを教えてくれたのかもしれないと思うのです。そこまでの意図がなかったとしても、僕は志村さんの言葉からそうしたヒントを掴むべきでした。

志村けんさん ©️文藝春秋

「常識を知らないと、非常識なことはできない」

 志村さんがよく口にしていた言葉があります。

「常識を知らないと、非常識なことはできない」

 ご存じのとおり、志村さんは非常識なことをしでかすキャラクターをいろいろ演じています。たとえば「いいよなおじさん」は、映画館で隣に座っている女性の飲み物を奪い、ストローに口をつけてブクブク息を吐いたりします。

 そういう非常識なコントについて志村さんは、

「常識の範囲をすべて知っておかないと、非常識の面白さは表現できない」

 と言っていました。