文春オンライン

「夕方から飲み始め、店を出たのは朝10時」志村けんをリムジンで待ち続けた運転手だけが知る“ナゾの17時間”

『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』#6

note

 急逝した“笑いの王様”のプライベートの素顔とは――。昨年3月29日、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなったお笑いタレントの志村けんさん(享年70)。その志村さんの傍らに7年間365日ずっと付き添っていたのが、付き人兼ドライバーだった乾き亭げそ太郎氏(50)だ。

 現在は故郷・鹿児島でレポーターとして活躍するげそ太郎氏が、一周忌を前に、著書『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』(集英社インターナショナル)を刊行した。志村さんの知られざる私生活から笑いの哲学まで秘話が詰まった一冊から、一部を抜粋して公開する。(全3回の3回め/#4#5を読む)

志村けんさん ©️文藝春秋

◆◆◆

ADVERTISEMENT

リムジンを持っているのに、またリムジンを……

 僕が付いたばかりの頃、志村さんはベンツのリムジンとキャンピングカーに乗っていました。しかし、数年してキャンピングカーは買い替えました。新しく買ったのはリンカーン。それもリムジンです。

「またかよ!?」

 そう思いましたが、後日、志村さんは「リムジンには特別な想いがある」という話をしてくれました。何人かで食事をしている席で、何かの拍子にリムジンの話題になったのですが、きっかけはビートルズだったというのです。

 1966年6月、ビートルズが初来日しました。このときの武道館コンサートでドリフターズが前座を務めたのは有名な話ですが、当時志村さんは16歳。まだドリフメンバーにはなっていません。

 来日したビートルズは、黒いリムジンで移動しました。彼らがジーンズ姿でリムジンから降りてくる映像を見たとのことで、志村少年は、「いつかは俺も――」と思ったそうです。そして大人になって夢をかなえたのです。

 その話を聞いた一同は「なるほど」と納得したのですが、

「だけどこいつもジーンズだから、まいっちゃうよ」

 と、志村さんは僕を指差したのでした。

 たしかに僕はいつもジーンズでした。そもそも当時はスーツなんて持っていなかったし、運転が終わったら現場作業ですから、まさかスーツを着ていくわけにはいきません。でも、一度くらいはビシッとスーツ姿で運転してみてもよかったなと思います。後の祭りですが……。

(※写真はイメージ) ©️iStock.com

夜中2時に志村さんを自宅に送ってからロケハン

 リンカーンのリムジンには、忘れられない思い出が一つあります。

 その頃、志村さんはバラエティ番組にゲストで呼ばれることが多く、初めての収録場所に行くことがたびたびありました。志村さんにとって初めての現場は、僕にとっても初めての現場です。これは僕にはすごく不安で、もしも道に迷ったりすれば、志村さんが大嫌いな遅刻をしてしまいます。 

 そこで僕は、夜中の2時まで飲んだ志村さんを自宅に送ったあと、よくロケハン(下見)をしていました。もちろん無断でリムジンを運転するわけにはいきませんから、毎回許可をもらっていました。

「明日の収録現場まで迷わずに行けるか、ちょっと不安です。今からお車を借りてロケハンしてもいいでしょうか?」

 そう申し出るわけです。これは初めてのゴルフ場に行くときも同じでした。夜中2時に帰ってきて朝6時出発というときに「これからロケハンに車を使ってもいいでしょうか」とお願いして、「今から?」と驚かれたこともありました。