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「監視されている感覚が消えない」…福岡5歳児餓死 ママ友の“洗脳”で全てを失った39歳母の思い

 逮捕翌日の送検時。碇利恵(39)は、痩せ細った姿を報道陣の前に晒し、虚ろな目で護送車に乗り込んだ。容疑を否認する“元ママ友”の赤堀恵美子(48)が、布で顔を覆い隠していたのとは対照的に――。

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「子供の頃の利恵ちゃんは勝ち気で活発な女の子でしたよ。大人にも物怖じしないで意見を言うし、友達の先頭に立って遊んでいましたから。本当に驚きました」

 碇の少女時代を知る元近隣住民は、事件を聞いて耳を疑ったという。

 昨年4月、福岡県篠栗町で碇の三男だった5歳児の翔士郎ちゃんが餓死した事件。3月2日、碇と赤堀は保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された。我が子の様子が急変した時でさえ、碇が連絡したのは119番ではなく、他人の赤堀だった。

中学時代の碇(卒業アルバムより)

 1981年、福岡県で生まれた碇。幼少期から10代を福岡市のベッドタウンの宇美町で過ごした。

「父が働いていた九州ローカルのスーパーマーケットの社宅アパートに両親、2つほど年の離れたお姉ちゃんの4人で住んでいてね。ところが利恵ちゃんが中2の頃、スーパーが閉店して、ひっそり引っ越していきました」(別の元近隣住民)

 碇家は同じ町内の住宅街に転居する。突如、訪れた家庭環境の変化。地元の公立中学に通う碇からは、幼い頃の溌剌さが消えていた。

「バレーボール部に所属し、普段は大人しい子たちのグループに交じっていました。ただ、誰かの言いなりになるような感じではなかったんですが……」(同級生)

 中学卒業後は、福岡市内にある男女共学の私立高校に進学。だが同時期に両親は離婚してしまう。高校の同級生が当時の印象を語る。

「口を開けば明るい、気さくな子でしたが、クラスの中では全く目立たないタイプでした。普通科ではなく就職科。部活はやっていなかったと思う。卒業後は地元のファミレスで働いているのを見かけましたね」