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「やがて赤堀は『しつけ』と称して翔士郎ちゃんを叩いたり、押し入れに閉じ込めるようになり、その間、碇は家から出され、外で泣いていた」(捜査関係者)

 碇は一軒家に一人で暮らす元夫や、母子を案じる母親ら親族を頼ることもできず、困窮を極めていく。

 翔士郎ちゃんは亡くなる直前、栄養が足りずにふらついて歩けなくなる。碇は赤堀に「翔ちゃんの体調が悪い」と何度も訴えたが、赤堀は「仮病や」「寝れば治る」と取り合わず、病院にも行かせなかった。

死亡した翔士郎ちゃん(左)と碇

「今でも監視されている感覚が消えない」

「碇はありもしない“ボスのグループ”に12台のカメラで監視されていると信じ込み、三男が餓死した際は本人も体重30キロ台まで痩せ細っていた」(同前)

 生活保護費など月約20万円の収入を赤堀に管理されていた碇は、翔士郎ちゃんの死後も搾取された。

「小5の長男と小3の次男は児相を経て元夫側に引き取られたが、赤堀は『2人を取り戻すために裁判費用がいる』と言い、12万円を騙し取っている」(同前)

 悲劇の約2カ月後。警察から赤堀の嘘を一つ一つ知らされた碇は、「許せない」と怒りを顕わにした。同時に、自責の念と根深い“後遺症”にも苛まれる。

「洗脳が解けてなお、『頭では分かっていても、今でも監視されている感覚が消えない』と話している。逮捕前も街で人のスマホがこちらを向いていたら、誰かの手先から撮られているのではと怯えていた」(同前)

 全てを失った孤独な39歳の母は、苦しみながら裁かれる日を待つ。

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