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昭和歌謡を代表する作曲家・都倉俊一の“地位”と“女性”

「コロナ後の日本の文化芸術を世界的にする」

 4月1日、文化庁長官就任にあたり、こう挨拶したのは都倉俊一(72)。

2015年より横綱審議委員も務めている ©共同通信社

 昭和歌謡を代表する作曲家だが、1995年に日本作編曲家協会理事になったのを皮切りに、2009年には日本作曲家協会常務理事、10年からは日本音楽著作権協会(JASRAC)会長を5年半務めた。

「作曲家の“利益代表”を自任し、そのために上に立ってことを運びたい、というプライドが強い人物」(レコード会社関係者)

 その交渉力は、ソ連通として知られた外交官の父・都倉栄二譲りといわれる。4歳からバイオリンを学び、学習院中等科時代の同級生には鳩山邦夫らがいた。

 学習院大2年時、中山千夏に「あなたの心に」を提供し、早くも作曲家デビュー。フォークグループのボーカルも経験したが、職業作曲家の道に進んだ。

「山口百恵の『としごろ』山本リンダの『どうにもとまらない』などヒット曲を量産。特にピンク・レディー。本人は後に『松田聖子や中森明菜もやっておけばよかった』と振り返っているが、ピンク・レディーだけで『UFO』『サウスポー』など5曲がミリオンという十分すぎる実績」(同前)