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連載昭和事件史

「現場は大破した機体が四散し墜死した乗客の死体が…」機長が酩酊!? 終戦直後の“借りもの航空の惨劇”

「現場は大破した機体が四散し墜死した乗客の死体が…」機長が酩酊!? 終戦直後の“借りもの航空の惨劇”

占領下で起きた日航機の悲劇「もく星号」墜落事件 #2

2021/04/11

 機体発見は再び毎日の4月10日付号外を見よう。

 三原山火口附近で 遭難機体発見さる 乗客の安否は捜査中

 航空庁10日午前9時正式発表 日航捜索機は10日早朝、大島噴火口東側1キロ、高さ2000フィート(約610メートル)の地点に遭難「もく星」号の機体を発見した。

【UP特約(東京)10日】米空軍第3救助連隊(中隊の誤り)捜索機は10日午前8時25分、行方不明中の日航機「もく星」号の機体を大島の三原山噴火口東方で発見したと報告した。

 なお第3救助連隊では「生存者の有無を調査し、もし生存者があれば、医療隊をパラシュートで降下させる計画である」と言明している。

「全員死亡」の毎日号外

 読売の号外を見ると、日航の捜索機が発見したのは午前8時40分。米軍の方が15分早かった。そして、10日付夕刊では、機体発見と死亡確認が報じられた。3紙はいずれも、三原山の山腹に機体や遺体が散乱した模様を自社機から撮影した写真を掲載している。

 遭難機・三原山で発見 全員の死亡を確認 噴火口付近に機体散乱

 行方不明の日航機「もく星」号は10日朝、伊豆の大島三原山噴火口近くで発見された。機体は散乱し、全員37名は既に死体となっていた。この朝、前日に代わる快晴の空を「もく星」号捜索は日航、航空庁、海上保安庁、米空軍協力のもとに未明から行われ、午前8時34分、日航捜索機「てんおう星」号は三原山噴火口東側1キロ、高さ2000フィートの地点に横たわる「もく星」号のバラバラの機体を発見した。一方、ほとんど同時に米空軍第3救助中隊捜索機5機のうち1機も、同じく「もく星」号の機体を認め、第3救助隊の降下医療隊員2名は惨事の現場にパラシュートで降下し、遭難機が日航のマーチン202であることを確認し、生存者は1名もいないことを報告し、直ちに極東空軍司令部から発表された。消息を絶って以来24時間目に発見された「もく星」号は、日本の航空史上最大の痛ましい事故を起こしていたのである。

「もく星号」の部品散乱状況(「航空情報」1952年第7集」より)

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 こう報じたのは朝日。「衝突でなく空中分解? 目をおおう惨状」が見出しの別項記事は【大島御神火茶屋にて高沢通信員発】のクレジットで地上から見た現場の模様を次のように伝えた。

「現場は目をおおう惨状である」

 日航機「もく星号」の墜落現場は大破した機体が四散し、墜死した乗客の死体が約3000メートルの範囲に散らばり、ある者は砂に顔を突っ込み、ある者は上向けに横たわるなど、また衣服がはがれた裸の死体、顔や手を焼いた死体……など、現場は目をおおう惨状である。乗客らの所持品の写真機、ボストンバッグなどが広い範囲に散らばっている。墜落現場のこうした模様から、三原山に衝突したものとは思えず、空中分解したものと考えられる。