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「加害者にも未来がある。学校は責任は負えない」旭川イジメ14歳凍死 中学校教頭が母親に告げた言葉

「なぜ先生はイジメた子の味方なの?」と少女は泣いていた 旭川14歳少女イジメ凍死事件 #5

genre : ニュース, 社会

※本記事では3つの中学校が登場します。X中学校は、廣瀬爽彩(さあや)さんがイジメを受けた後に転校した学校。Y中学校は2019年4月から9月まで、イジメをうけた時に在籍していた学校。Z学校は、加害者生徒のC男、D子、E子が通っていた学校です。

 

 また本記事では廣瀬爽彩さんの母親の許可を得た上で、爽彩さんの実名と写真を掲載しています。この件について、母親は「爽彩が14年間、頑張って生きてきた証を1人でも多くの方に知ってほしい。爽彩は簡単に死を選んだわけではありません。名前と写真を出すことで、爽彩がイジメと懸命に闘った現実を多くの人たちに知ってほしい」との強い意向をお持ちでした。編集部も、爽彩さんが受けた卑劣なイジメの実態を可能な限り事実に忠実なかたちで伝えるべきだと考え、実名と写真の掲載を決断しました。

「爽彩さんが亡くなったことを受けて、もう一度、命の大切さについて私のほうから生徒たちに伝えようと考えました。生徒たちも全員私のほうをちゃんと見て、真剣に聞いてくれていました。爽彩さんには、ただただご冥福をお祈りするしかないなと、本当に痛ましく悲しいことだなと受け止めています」(X中学校校長)

 4月15日、旭川市内のX中学校では、体育館に学年ごとに生徒が集められ、「命の大切さを訴える会」が開かれた。この中学校は今年2月13日、氷点下17℃の夜に自宅を飛び出して行方不明となり、3月23日に公園に積もった雪の中で変わり果てた姿で見つかった、当時中学2年生の廣瀬爽彩さんが最後に在籍していた転校先の学校だ。X中学校の校長は、同校の生徒である爽彩さんが痛ましい最期を遂げてしまったことの無念さを訴え、改めて「命の大切さ」について、生徒たちに真摯に語り掛けた。

Y中学校の関係者は誰一人葬儀にこなかった

「文春オンライン」では、これまで亡くなった爽彩さんが壮絶なイジメの被害に遭っていたことや失踪前に医師からPTSDと診断され、そのフラッシュバックに悩まされていたことを報じた。

爽彩さんが通っていたY中学校

 3月下旬に市内で行われた爽彩さんの葬儀には、親族や爽彩さんを探すために尽力したボランティアなど、多くの人が訪れた。爽彩さんは家にひきこもり、学校にも行けない生活を続けていたが、X中学校の校長や担任教師も参列したという。爽彩さんの親族が語る。

「爽彩の小学校のときの同級生やX中学校のクラスメイトの子たちも来てくれました。FacebookやTwitterを見た全国の方から香典もいただきました」

廣瀬爽彩さん

 一方、爽彩さんが2019年4月から9月まで在籍したY中学校の関係者は誰一人、葬儀にはやってこなかった。爽彩さんはY中学校に入学した直後から、同校に通う上級生のA子、B男、別の中学に通うC男らからイジメを受けていた。爽彩さんの母親は何度も当時の担任の教師や学校に「娘がイジメられている」と訴えたが、Y中学校に母親の声は届かなかった。