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純朴で一生懸命、ソフトバンク育成3年目の中村宜聖が先輩たちから学んだ“集中力

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/05/05

 5月5日はこどもの日――。

 ということで、今回は【息子にしたいランキングNo.1の現役選手】を紹介したい。

日本文理大学のユニフォームを着た小学生時代の中村宜聖選手(本人提供)

 栄えある第1位に輝いたのは、今年が3年目の中村宜聖(たかまさ)選手。2018年育成ドラフト4位指名。ファーム本拠地・タマスタ筑後から車で15分程の距離にある西日本短期大学附属高校(以下、西短)から入団した。

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 背番号は142。4月11日のウエスタン・リーグの広島カープ戦で2軍公式戦初安打を放ち、選手層の厚いホークスでようやく大きな一歩を踏み出した。しかし、それ以外に派手な活躍は正直まだない(泣)。

 それでも、何だか気になる選手だった。素直で純朴で一生懸命な姿が好印象。だから、母親のような気持ちで見守ってしまうのかもしれない。コーチ陣や先輩にも可愛がられ、ハニカミ笑顔にキュンとしているファンも多い。

 20歳になった今でも良い意味で子どものような純粋さを解き放っている。

文理大野球部の練習を間近で見ていた少年時代

 そんな彼の父親は日本文理大学硬式野球部を何度も全国の舞台に導いてきた中村壽博監督だ。

「優しいお父さんでした。大学の野球部の方々にはかなり厳しかったようですが」

 野球英才教育を受けてきたのかと思いきや、決してそんなことはなかった。父から技術的な指導はほとんど受けたことがなく、とにかく褒めて、野球を楽しませてくれたという。

 また、中村宜選手は4人兄弟の長男。2つ下の弟は、筑陽学園高校で2年生の時に春夏連続で甲子園に出場し、今年から早稲田大学でプレーしている敢晴(かんせい)さんだ。「筑陽勝ちましたね。敢晴どうでした?」といつも弟の様子を気にしていた。敢晴さんが甲子園に出場した時、中村宜選手は本当に嬉しそうにしていた。

 そんな仲良し兄弟は小さい頃から文理大野球部の練習場にも揃って顔を出していた。大学生のお兄さんたちがキャッチボールの相手をしてくれることもあった。プロを目指す選手もいる高いレベルの大学生たちの練習を間近で見たり、遊んでもらったりすることで、宜聖少年は早い段階から自然と「プロ野球選手」を目指すようになっていたという。

 ユニバーシアード記念九州大学野球選手権大会という全国大会をかけた九州地区代表決定戦に出場した文理大の応援に行った時のこと。この大会はホークスの本拠地ヤフードーム(現・ペイペイドーム)で行われていた。決勝戦が終わった後、中村兄弟はグラウンドに降ろしてもらった。その時の感動は今でも覚えているという。この場所でプレーしたいという憧れも強くなった。

小学生時代の中村兄弟(本人提供)

 こうして子どもの頃からたくさんの愛情と刺激を受けて育ってきた中村宜選手。高校は父の背中を追って西短へ進学した。父は1992年夏に西短が甲子園で初優勝を果たした時の主将だ。中村宜選手の甲子園出場は叶わなかったが、伝統の西短で3年間心身ともに鍛え抜き、幼い頃から夢に見たプロ野球選手の夢を叶えたのだった。

 余談だが、当時西短の寮にはテレビがなく、携帯電話も禁止されていたそうで、入団当時の中村宜選手は文明の利器に感激していた。

「ラインとかインスタってめっちゃすごくないですか?」と目をキラキラさせていた姿がいまだに忘れられない(笑)。入団時からあらゆることに目を輝かせていた初々しさも母性本能をくすぐるポイントかもしれない。

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