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オリックスファンの私にとって「エース」とは? 宮城大弥の物語がここから始まる

文春野球コラム ペナントレース2021 共通テーマ「エース」

2021/05/27
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 小学生の頃、初めて親に野球の本を買って貰ったのを覚えている。そこで紹介されていたのは、セ・リーグ各球団の「エース」だった。堀内、江夏、星野、外木場、松岡。中でも当時の筆者がとりわけ格好いいな、と思ったのは大洋ホエールズの平松だった。既にベテランの域に差し掛かっていたにも拘わらず、すらりとしたスタイルから、奇麗なフォームで繰り出す切れ味抜群のストレートと「剃刀シュート」。何よりも - 当時も - お世辞にも強いとは言えなかったぼろぼろの川崎球場のマウンドを、負けても負けても一人守り続ける姿が、その「ガラスのエース」という異名もあって、とても恰好よく見えたものである。

 そしてそれから、45年以上。筆者は日々、「プロ野球ニュース」で平松の姿を目にすることとなっている。ところであの番組、平松、高木、斉藤と三人の元大洋ホエールズのスターが解説者として並ぶと、司会をしている野村のヘアスタイルの将来がどうしても気になるのは、僕だけでしょうか。

 とはいえ、1960年代生まれの関西出身のパ・リーグファンである自分にとって、「エース」という言葉で想起される選手が誰かは決まっている。そう、近鉄の鈴木啓示と阪急の山田久志がそれである(当時、筆者が応援していた南海ホークスの事は、ここではどうか忘れて欲しい)。そしてそれは必ずしも彼らが通算317勝と284勝という圧倒的な成績を上げているからだけではない。鈴木や山田の全盛期は同時に、近鉄と阪急の全盛期だったから、当然の事ながら他にもチームを支える好投手が沢山いた。近鉄では井本や柳田がローテーションを支えていたし、阪急の足立や佐藤義則はいずれも150勝以上の通算勝利数を挙げている名投手だ。だから個々のシーズンだけを取ってみれば、常に鈴木や山田が圧倒的な存在だった訳ではない。

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 そして勿論、彼等の後の時代の両球団にも、いい投手は沢山いた。日本ハムの西崎と並んで「トレンディーエース」という、今から思うと些かこっぱずかしい異名を与えられた阿波野と、トルネード投法の野茂は、それぞれ間違いなく、80年代後半と90年代前半の近鉄を支えた名投手である。阿波野の活躍は、あの「10.19」の試合と共に、多くのプロ野球ファンの記憶に残っているし、野茂の成績は言うまでもなく圧倒的なものだった。阪急、そしてオリックスの主力先発投手の座は、山田の後、佐藤、そして星野伸之に引き継がれた。「星の王子様」なる可愛すぎる愛称を与えられた星野は派手さこそないものの、細身の身体で、常に安定した成績を残し続けた。

「エース」とはどこかの沼の「主」の様な存在である

 だがそれでも「何か」が違う。そう、昭和生まれの野球ファンにとって「エース」とは単なる「良い投手」以上のものなのだ。たとえて言えばそれは、どこかの沼の「主」の様な存在である。どこから来たのか知らないし、何時からいるのかすらわからないけど、そいつはそこにずっと棲んでいる。1966年生まれの自分にとって、鈴木も山田も物心つく前から活躍し、気づいたら既に両チームの「主」として君臨する存在だったからである。

 そしてチームの「主」である以上、彼等は簡単に「釣り人」に釣られなんかしない。彼らは悠然といつもと同じ姿、同じ泳ぎ方で水面に姿を現し、釣り人をあざ笑い、きりきり舞いさせる。そもそも「主」はそんじょそこらの魚とは「もの」が違う。だから他の魚が少々肥え太って大きくなったからと言って、そいつが簡単に新しい「主」になる事はない。何故なら「主」は存在そのものが「主」であって、最初から「主」だからだ。

 そして実際、彼等は実にふてぶてしかった。鈴木は「投げたらアカン」とか言いながら、来る日も来る日も投げ続け、毎年のように20試合以上も完投したので、近鉄では鈴木康二朗がヤクルトから移籍してくるまでリリーフ投手が育たなかった。阪急には山口高志という屈指の速球投手がリリーフに控えていたが、彼がブルペンで準備をはじめると山田は時に、露骨に嫌な表情を見せた。他の投手の調子とはあまり関係なく、ほとんどの年において開幕投手は彼等であり、共に同じ20年間の現役の間に、何と鈴木は14回、山田も12回に渡って、その役割を務めている。

 そう「エース」とは、チームの「主」であり、だからこそ彼等は大事な試合では常にマウンドにいた。そして「エース」たちは、単にそこにいただけではない。「エース」は「エース」である以上、どんなに調子が悪くても、またどんな強打者の前でも、「どや顔」をして投げ続けた。そして、どんなに大きなピンチで相手を抑えても派手なガッツポーズなどしない。「エース」である以上、相手を抑えるのは当たり前であり、一喜一憂などしないのだ。

 だからこそ相手チームのファンにとっては、彼等は時にとても憎らしくも映った。でもそれはそれでまた、相手チームのファンにとっても悪い事ではなかった。「悔しいけど、やっぱり山田は今日も凄かったな」。そう思いながら家路につけるだけ、その試合を見に行った価値があると思えたからだ。負けたら負けたで納得できる。それが「エース」の真骨頂なのである。

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