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彼女はセレブアピールの強い子

 早貴さんは、北海道札幌市に3人きょうだいの次女として生まれ、地元の高校を卒業後、美容専門学校に入学した。友人が証言する。

「とにかく金遣いが荒くて『お父さんは開業医で家が大金持ち』と話していました。身に着けているものは、学生のときからシャネルだらけ。学校で先生に『帰れ!』と怒られたら『あ、帰るわ』と出て行って、午後になったら両手に買い物袋をブラ下げて帰ってきたこともあります。ホスト遊びでも有名でした」

 早貴さんは、インスタグラムなどのSNSで華やかな日常をアピールする投稿を繰り返していた。

「当時から彼女はセレブアピールの強い子。海外旅行に頻繁に行き、『1泊30万円の部屋に泊まった』と言っていましたね。1体30~50万円もする大きなリカちゃん人形を集めるのが趣味。その頃、早貴はホストと付き合っていました。心配すると『私は貢がれる派。自分からは貢がないから大丈夫』って。その彼とは別れたのに自宅に白いバラが100本送られてきたそうで『キモかったから、花びらを取って浴槽に敷き詰めてお風呂に入った』と話し、実際その写真をインスタに投稿していました。その後、そのホストとは復縁したそうです」(同前)

 別の友人は、早貴さんの“承認欲求”の強さが印象に残っている。

「札幌から東京に来るときには、インスタに千歳―羽田の国内線の機内でファーストクラスの席にウェルカムドリンクが置かれた写真を投稿していましたが、実際乗っていたのはエコノミー。JALの株主で優待券を使っていたようです。ある日、私と一緒に旅行をしたときは、ホテルに到着するとトランクケースを開けてルブタンなどの靴を何足か取り出し、ベッドに並べ始めた。そして『この角度から写真を撮ってくれない?』と。旅行中はしょっちゅうこんな感じで、高級なエントランスやレストランでも写真を撮るように頼まれました」

須藤早貴

「あたし、ジジイとかムリなんだよね」

 一方で、早貴さんは年上の男性に露骨な嫌悪感を示すことがあったという。

「たまたま近くに友人たちがいて、私たちのホテルまで遊びに来てくれたんです。その友人は40代なのですが、そのうち早貴は『私、先に帰るね』と一人その場を去ってしまった。理由を聞いたら『あたし、ジジイとかムリなんだよね』と言うんです」(同前)

 そんな早貴さんと野崎氏が結婚したのは、今年2月8日。結婚後、野崎氏は早貴さんの名前が記載された新たな戸籍謄本を大量に複製し、嬉々として知人に配り歩いていたという。早貴さんが野崎氏の自宅に同居し始めたのは、4月中旬。従業員は、ふたりの不可解な夫婦関係について話す。

「早貴さんは毎月のお小遣いとして社長から100万円もらっていました。でも、社長は早貴さんが和歌山に来て10日くらい経った頃、『あの女はダメや。家のこと何もしないし。もう離婚したい』と言ってはりました。それに対し、早貴さんは『離婚するなら慰謝料もらうよ。早くお金だけもらって東京に帰りたい』と。その頃、うちの関係者が、たまたま彼女が出演しているセクシービデオを発見してしまったことがあった。いま思えば、それが社長の知るところとなり、夫婦関係がギクシャクしてしまったのかもしれません」

「遺産を継がせる」と公言していた愛犬イブが急死

 この頃、野崎家では重大事件が起きていた。

 野崎氏が「遺産を継がせる」と公言していた愛犬イブが5月6日、急死したのだ。旧友が明かす。

「イブが死んだとき、社長は相当取り乱した。家政婦に『何を食わせたんや!』と当たったため、疑われて怒った家政婦と大喧嘩をしていました。その日、社長はイブを連れて24時間やっている大阪の動物病院へと車を走らせた。イブはその途中で社長の胸に抱かれたまま、息を引き取ったのです」

 イブの世話をする機会が多かった女性が証言する。

「イブちゃんが死んだ当日、早貴さんと会った。死んだという報告を受けてアポイントを取り、お昼過ぎに幸助さんの家に行ったら、彼女がバスローブを着て出てきたんよ。家には棺桶があり、幸助さんは『とりあえず置いとく。まだ火葬はせえへん』と。そうしたら早貴さんは『腐ってきて臭いするんじゃないの』と反対していた」

 その後、野崎氏は愛犬の偲ぶ会を6月11日に計画し、多くの知人に直接誘いの電話を入れている。

「私には『あいつ(2番目の妻)を呼んでくれるかぁ』って。私が『早貴さんが来るのに前の奥さんが来たらややこしいわ』言うたら『あいつはええんや。大丈夫や』と。ホンマに盛大にしたかったみたいで、南紀白浜空港で演奏会をしてから白浜町でパレードをして、最後に(会場の)ホテルに行くというイベントを考えていた。まさか、その数日後に亡くなるとは考えもしませんでした」(同前)

田辺市の有名人だった

 愛犬の死に際しても“ライフワーク”を欠かさなかったと証言するのは、前出の従業員である。

「イブが亡くなった翌日、社長は交際クラブを利用していますからね。『東京でネーチャンとヤッた』と言っていましたから……」

 愛犬の偲ぶ会を待たずに怪死した野崎氏だが、葬儀での早貴さんの様子は、

「態度の悪い早貴さんを親族が怒鳴り散らしたという報道がありましたが、そんなことはありませんでした。ただ、葬儀のときニヤニヤしながら携帯をいじっているのは見ました」(同前)