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堀の水面がピンクに染まる「花いかだ」も幻想的…弘前城が“全国屈指の桜の名所”である理由

2021/05/10

 全国屈指の桜の名所として有名な、弘前城公園。例年開催される弘前さくらまつりには、日本中から200万人以上の人が訪れます。

 52種類約2600本に及ぶ桜が美しく保たれているのは、「桜守」と呼ばれる樹木医のおかげ。一般的にソメイヨシノの寿命は60年ほどですが、弘前城内には樹齢100年を越える桜が400本以上あります。

移動前、下乗橋から見る弘前城天守(2011年撮影)。

水面を花びらが埋め尽くす「花いかだ」

 桜はひとつの花芽のなかにある蕾の数が多く、ボリューム満点。花が密集して重みがあり、水堀を覆うように枝がしなだれます。蕾の数は一般的には4つほどですが、弘前城の桜は推定で平均4.5個と多く、なかには7つや8つのものもあるそうです。

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 西濠沿いの桜のトンネルのほか、ピンクの絨毯のように堀の水面を花びらが埋め尽くす「花いかだ」なども幻想的です。

花びらが堀を埋める「花いかだ」(2016年撮影)。
堀沿いの桜が見事な西濠(2016年撮影)。

 桜は明治の廃城令後、城としての役割を終えてから少しずつ植栽されたものです。市民の寄付によって増え続け、大正7年(1918)に初めて観桜会が開かれました。なかには、昭和に入って植えられたものも。市民とともに歩んできた、弘前城のひとつの歴史といえそうです。

東北唯一の現存天守

 弘前城には東北地方で唯一、江戸時代に建てられた天守が残ります。天守は西日本で誕生し発展したため、東日本には数が少なく、東北に天守があることがそもそも貴重といえます。

現在、天守は本丸に移動されている。

 とはいえ、この天守は櫓として建てられたもの。築城時に築かれた初代天守が寛永4年(1627)に落雷で焼失したため、文化7年(1810)に再建されました。