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マスク越しに感じた衝撃…松井秀喜50号本塁打を呼んだ米野智人の“あの落球”

文春野球コラム ペナントレース2021 共通テーマ「松井秀喜」

2021/06/01
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 今回のコラムはなにを書こうかなと考えていたら、公開日の6月1日は交流戦のジャイアンツ戦だと思い出した。

 プロ野球選手にとって、ジャイアンツはやはり特別な存在。北海道出身の僕が野球を始めた頃はまだ日本ハムが移転してくる前で、テレビでプロ野球を見るのはジャイアンツ戦だった。

 だからヤクルトに在籍していたときはもちろん、ライオンズに移籍して以降も、交流戦で対戦する際には特別な気持ちになった。

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 そうした感情が湧いたのは、当時のジャイアンツには少年時代の僕の“スーパースター”がプレーしていたことも関係ある。松井秀喜さんだ。

 ジャイアンツとの試合で真っ先に思い出すのが、19年前の2002年10月10日の一戦。この日、松井さんはシーズン50号ホームランを放った。日本人で年間50本塁打を記録したのは、落合博満さん以来16年ぶり。松井さん以降、日本人で年間50本塁打を放った選手は1人もいない。

 そんなメモリアルな試合に、僕はヤクルトの8番キャッチャーでスタメン出場した。そして大観衆の前で、“あのプレー”をすることになる――。

©文藝春秋

憧れのスターと同じ舞台で対戦

 ヤクルトの先発はサウスポーの藤井秀悟さんで、対するジャイアンツ打線は以下のメンバーだった。

1(左)清水隆行
2(遊)二岡智宏
3(右)高橋由伸
4(中)松井秀喜
5(一)清原和博
6(捕)阿部慎之助
7(三)江藤智
8(二)仁志敏久
9(投)武田一浩

 超強力打線!

 一方、ヤクルトのピッチャー陣には「ロケットボーイズ」こと左腕の石井弘寿さんと右の豪腕・五十嵐亮太さんがセットアッパーとして控え、現在監督を務める高津臣吾さんがクローザーとして君臨していた。

 あの日の東京ドームは異様な雰囲気に包まれていた。すでに巨人の優勝が決まっているなか、消化試合とは思えない空気が漂っていた。松井さんのホームラン50本、そして三冠王もかかっていたからだ。

 松井さんの存在を僕が初めて知ったのは、1992年、当時北海道札幌市の自宅で高校野球の甲子園大会をテレビで観戦していたときだった。

 高校生離れした、ひときわ大きな体の左打者がとんでもない速いスイングで甲子園球場にアーチを描いた。小学5年生の野球少年だった僕には衝撃が走った。

 マジで怪物! GODZILLA!

 まるで高校生の中に、1人だけプロ野球選手がいるようだった。

 1992年、松井さんは読売巨人軍にドラフト1位で入団。巨人ファンの父親の影響で、僕もジャイアンツ戦をよくテレビで見ていた。星稜高校時代の衝撃から松井さんのファンになり、ホームランを打ったら父親と喜んでいたことを覚えている。

 それから月日が経ち、僕は1999年ドラフト3位でヤクルトに指名されてプロ野球選手になった。2年目に初めて1軍に昇格し、デビューはジャイアンツ戦。少年時代のスーパースターが、すぐ近くに立っている。

 デカい! マジでGODZILLAじゃん!

 一緒に野球をしている! 誰か写真撮ってくれ!

 内心ではそんなことを思いながら、ドキドキワクワクしていた。

 でも、今は同じプロ野球の舞台で真剣勝負をしている。そう思うと、すぐに気が引き締まった。

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