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2021/05/20

source : 文藝春秋 2013年12月号

genre : エンタメ, スポーツ

どうしてもケガが気になってしまった

貴乃花 え、本当に? それは知らなかったなぁ。棄権しようとは思わなかったんだ。もうすでに自分は引退間際だと思っていたし、「ここで棄権しても意味はないな」と。同情されるのも苦手だから「それなら潔く吹っ飛ばされて負けた方が気が楽だな」って。

武蔵川 こっちは、土俵上での痛々しい動作を見て、全然気持ちが乗らなかったんだよね。いつもなら、「よし! やってやろう!」と燃えるのに、「あ、ケガしてるんだ……」と、そっちばかりが気になる。どうしてもその気持ちのほうが先に出ちゃうんだよ。仕切っていて「あれ?」と思っているうちに、思い切り突っ込んで来られて、ちょっと焦ったのね。仕切り直しかと思ったら、もうすでに遅かった。気がついた時には投げられていた、という感じだった。

©文藝春秋

貴乃花 もう勝ち負けより、気持ちだけで土俵に上がるしかない。だって前日に勝ってさえいたら、そのまま僕の優勝が決まっていたわけだし。ここでケガを云々するのは、勝ち負けより恥ずかしいことだと思っているから。マルちゃんと当たるし「これでもう、引退が飾れるかもしれない」という思いがどこかにあったんだ。横綱同士の対戦が最後の一番になるというのは、幸せなこと。たとえ負けてもね。

武蔵川 そんなふうに思ってたんだ。

貴乃花 もし自分の弟子があんなケガをしてたら、やめさせる。だって自分じゃないですもん。人様からお預かりしてるんですからね。それくらいの状態だった。

打ち上げパーティで言われた言葉に頭に来て、酒をガンガン飲んだ

武蔵川 今だから言うけれど、僕はこの日から、相撲を辞めようと思うようになったんだ。もちろん負けたのも悔しいけど、その日の夜の打ち上げパーティで、後援者の人に、「わざと負けてやったんだろ。同情で八百長してやったのか」というようなことを言われてね。「僕という人間をわかってくれていないんだ」って頭に来て、悔しくて……。その日はもう、酒を死ぬほどガンガン飲んだ。

貴乃花 うーん、悪気はないだろうけど、土俵に上がっている人間にとって、一番傷つくことを言われたんだね。

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