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実母に性行為を見せつけられ、黙って喘ぎ声を聞いていた…息子を殺した母親が幼少期に受けた“性的虐待”

『近親殺人―そばにいたから―』より#2

2021/06/17

genre : 社会, 映画

note

 日本の殺人事件の半数は、家族を主とした親族間で起きている。殺人事件の認知件数は1954年をピークに少しづつ減少しているが、親族間の殺人事件の件数はここ30年ほど変わっておらず、割合としては高まっている。

 なぜ、家庭だけがこんなにも危うい状況のまま取り残されることになったのだろうか。その背景にあるものはーー。ノンフィクション作家・石井光太氏の『近親殺人―そばにいたから―』(新潮社)より一部を抜粋し、実際に起きた事件を紹介する。(全2回の2回目/#1を読む)

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小佐野晴彦(仮名)=57歳。恋の夫。会社を経営している。離婚歴あり。前の妻との間に娘が一人いる。

小佐野恋(仮名)=34歳。晴彦の妻。27歳までに二度の離婚歴あり。解離性障害、記憶障害、窃盗癖がある。

小佐野瑞貴(仮名)=5歳。晴彦と恋の子供。母親に甘えられずにいる。

※すべて事件当時の経歴である。

 

 晴彦は50歳の頃、当時27歳だった恋とある携帯サイトを通じて知り合い、すぐに交際を始め同棲生活を開始した。その後、恋に窃盗癖や虚言癖があることを感じるも、惚れ込んでいたこともあり、深刻なものとして受け止めなかった。

 2009年に瑞貴が生まれ、翌月に入籍し、家族三人の新婚生活がスタートしたが、恋が瑞貴をかわいがることはなかった。恋は瑞貴と目も合わせず、話しかけることはほとんどなかったという。

 2014年12月29日、事件は起きた。恋は晴彦が外出している中、寝ていた瑞貴を13階のマンションベランダから投げ落とした。帰宅した晴彦が窓の真下は植え込みに瑞貴が倒れているのを発見し、すぐに110番通報をしたが、瑞貴は助からなかった。

 事件後、警察は晴彦の証言を受けて恋の身柄を拘束した。事情聴取で恋が殺害そのものを否定したため、警察はクリスマスパーティーでの一件を殺人未遂として逮捕した上で取り調べを進めたのだ。

 翌年1月からは責任能力を調べるために鑑定留置(被疑者を精神鑑定するために病院等に留置すること)が行われたが、その間も恋は頑なに容疑を否認し、「瑞貴が勝手に窓から落ちただけ」と言い張った。そんな彼女がようやく事実を認める供述をしたのは、4月に鑑定留置が終わって殺人未遂で起訴された後だった。

©iStock.com

 恋は次のように述べた。

「子供が好きじゃなかった。育児で疲れて精神科に通うほどだったので、いない方がいいと思っていた。それに、夫の気持ちが息子に向いているのが許せなかった。それで瑞貴が邪魔になって窓から転落死させた」

 瑞貴は自分から自由な時間と夫の愛情を奪う存在でしかなく、それを消し去るために窓から投げ落としたと認めたのだ。

 6月に入って殺人罪でも起訴され、再びメディアによって大きく報じられた時、ネットのコメント欄には恋のあまりに身勝手な行動に怒りの声が溢れた。その大半が、恋を悪鬼同然の女性であるとして、事件は絶対に許しがたいとするものだった。精神を病んでいたことを差し引いても、世間の反応は当然だろう。

 一方、公判で弁護側が明らかにしようとしたのは、恋が抱える心の闇だった。単に病気の女性が起こした犯罪と見なすのではなく、彼女の生い立ちをたどることで、心が蝕まれた経緯に目を向けることが重要であり、それが事件の本質だとしたのだ。弁護士の主張と取材から見えてきた恋の半生は、たしかに想像を超えるものだった——。

 物心ついた時から、恋の家庭には父親も母親もいなかった。恋は親に捨てられた子として育ったのだ。

 恋の母親は、愛子といった。愛子は子供の頃から素行が悪く、問題児として知られていた。思春期以降は夜の街に入り浸って親の手に負えなくなり、実家を出てからはSMクラブで“女王様”として働くようになる。その頃にはもう実家とのやりとりはなくなっていた。

 1980年5月、夜の街で働いていた愛子は当時付き合っていた男との間に、長女の恋を出産する。だが、出産後すぐに男に逃げられ、養育費ももらうことができなかった。頼る人がいなかったことから、彼女は生後9カ月の恋を抱きかかえて実家にもどった。