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ロバート キャンベル 同性パートナーとの結婚式から4年「普通の人」が公表できるように

「文藝春秋」6月号「小さな大物」より

 この春に国文学研究資料館館長を退任し、早稲田大学特命教授や早稲田大学国際文学館顧問として活躍の幅を広げるロバート キャンベルさん。LGBTであることを公表し、さまざまなメディアでも発信を続けています。多才で、枠にとらわれない生き方の源はどこにあるのか? その生い立ちに迫りました。(「文藝春秋」2021年6月号より)

アイルランド系移民だった祖父母も隣に住んでいた。祖母が台所のシンクで体を洗ってくれた時の一枚

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父と母は別居状態で、物心ついた時には父はいなかった

 生まれたのはニューヨークのブロンクス。父と母は別居状態で、物心ついた時には父はいなかったのですが、寂しいとか、欠落感を感じたことは全くありませんでした。

 母はフルタイムの仕事をしていましたが、帰ってくるといつも一緒にいて、笑わせてくれた。いっぱいハグもしてくれた。小学校高学年の頃から対等な関係で子ども扱いをされたこともなかった気がします。

 思春期に入って行動範囲が広がっても、母から口うるさく言われた記憶はありません。人に迷惑をかけず、危ないことや身体に悪いことさえしていなければ、大目に見てくれていたんでしょうね。ただ、「誰とつきあっているか」だけは厳しく見ていました。

 母は私の友達とも仲がよくて、誰かとずいぶん長く電話でしゃべっていると思ったら、電話をかけてきた私の友達だったということもありました。今思えば、私がどんな人たちとつきあっているか、網の目をすごく細かくはりめぐらせていたんだと思います。

 私が13歳の時に母が再婚。その後、私たち家族は、イギリス、フランスへと引っ越し、その後はニューヨークに帰らずサンフランシスコに住みました。

高校生のころ。母と、再婚相手との間に生まれた妹と一緒に
高校時代は、演劇、ダンス、サイクリングなど様々なことに熱中した

 私が10代後半を過ごした、70年代のサンフランシスコは、すごく面白い時代でした。ちょい悪なお兄さんやお姉さんたちと一緒にゲイバーやディスコやクラブに行ったり、お酒は飲まないのですが、踊ることが大好きで、ミュージシャンやアーティストともつきあいがありました。年齢も関係なく、30代の友達もいましたし、ある意味変な子どもでしたね。いい関係になった女の子もいましたが、私にボーイフレンドがいることも知っていました。高校は公立の進学校でしたが、好きな勉強はすごくしていたし、嫌いな勉強は全くしない学生でした。