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ときには取材中、言葉に詰まり涙を流すことも

 最も印象に残っているのは、2007年に起きた新潟県中越沖地震の際の取材です。麻央は新潟県小千谷(おぢや)市出身で、震災の被害を受けた地域は彼女の故郷でした。

 被災地を訪れた麻央は、言葉にならないほどショックを受けていました。それでもキャスターとして、現場の悲惨な状況を視聴者に伝えなければいけないと思い直し、ただ伝えるだけでなく、どうすれば復興につながるのかを考えてレポートするように心がけていました。

 もう一つ記憶に残っているのは、カンボジア取材です。病気を患っているけれど、お金がなくて病院に行けない少女を取材しました。取材が終わってからも頭から少女のことが離れなかったそうです。少ししてから「あの子を助けたい」と言って、自ら動いてその少女を助ける活動をしていました。

 ときには取材中、言葉に詰まり涙を流すこともありました。本来、キャスターであれば、相手の言葉を引き出すのが仕事です。しかし、麻央は相手に自然と寄り添い、一緒に悲しみ、一緒に笑おうとしていました。それが彼女の優しさであり人間味なんだなと今でも思いますし、そんな彼女だからこそ、どこに行っても愛されたのだと思います。

一度決めたことはブレずにやり抜く

 麻央が亡くなったあと、「ZERO」でのVTRを中心に追悼番組を作ってくれました。他の部署に異動したスタッフたちも集まって、麻央の思い出話に花が咲きました。スタッフの誰かが「小林さんは、自分で違うと思ったネタは絶対にやらなかったよね」と言っていました。確かに彼女は意志が強いところがあり、番組を引き受けた当初の決意を忘れなかった。一度決めたことはブレずにやり抜く。そんな彼女の芯の強さを思い出しました。

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 麻央が亡くなったことが発表された6月23日、「ZERO」の共演者、嵐の櫻井翔さんは会見で、「家族を失ったような気持ちでいっぱいです」と言って涙を流してくれました。あの番組を作った仲間たちは、麻央にも「家族」のような存在だったのだろうと改めて思います。