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「おととい堀越麻央になりました」

 結婚式の日取りをめぐって、少し困ったことがありました。麻央の結婚式の2日後に私の結婚式が控えていたのです。もちろん私の日取りがだいぶ前に決まっていたのですが、二人の式はスケジュール上、どうしても動かせません。おかげで自分の式の準備どころではなくなってしまったのですが、今となってはいい思い出です。

2010年7月、結婚奉告のため成田山新勝寺を参詣した市川海老蔵さんと小林麻央さん ©文藝春秋

 実は、私の妻は麻央のメイク担当だったのです。麻央は私たちの交際を理解して協力してくれました。仕事の後に私たちのデートの約束があれば、「この仕事は絶対遅くならないようにしよう」と、いつも以上に頑張ってくれました。普段は仕事が終わってから、ゆっくりと片付けをして帰るタイプなのに、そういう日は荷物をサッと片付けてくれました。

 私たちの結婚式にも、挨拶回りなどで忙しい中、時間を作って駆けつけてくれました。

「おととい堀越麻央(注・海老蔵の本名は「堀越寶世(たかとし)」)になりました。小林麻央としていられたのは、菅さんと一緒にやってきたおかげです」

 と彼女がスピーチをしてくれたことは、一生の宝物です。

 結婚式の4カ月後、2010年11月、海老蔵は、西麻布の飲食店で暴行され左頬を陥没骨折するなど大怪我を負った。その際に、報道陣の前で騒動を謝罪する麻央さんの姿はいまも多くの人々の印象に残っている。2011年には長女の麗禾(れいか)ちゃんが、2013年には長男の勸玄(かんげん)くんが誕生し、幸せな報告が続いた。

立派な「成田屋の若奥様」

 先日の会見で、海老蔵さんは「僕を変えてくれた奥さんでした」とおっしゃっていましたが、麻央は最初の決心どおり、海老蔵さんをしっかりと支え続けることができたのだと安心しました。

 結婚当初、実を言うと歌舞伎の世界で麻央がきちんとやっていけるのかと心配したこともありました。たくさんのご贔屓筋がいらっしゃいますから、顔と名前もきちんと覚えないといけません。のんびりとした性格の彼女に凜としたイメージの歌舞伎役者の奥様が務まるのかと。

 でも、その心配は杞憂に終わりました。海老蔵さんの舞台に招待してもらったことがありますが、出入り口で挨拶をしている姿はどう見ても立派な「成田屋の若奥様」になっていたのです。たまに会うときは、いつもののんびり屋さんの麻央に戻っているのですが……。

 麗禾ちゃんが生まれた後に、お祝いに出かけると、今度はすっかり母親の顔になっていました。私に「子供は作ったほうがいいですよ」と嬉しそうに話してくれました。