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「大事なのは過程だと父は口にしていました」『大家さんと僕』矢部太郎さんの見つめた『ぼくのお父さん』

矢部太郎(芸人・マンガ家)――クローズアップ

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 住んでいた借家の大家さんとの交流を描いた初めての漫画『大家さんと僕』で、第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した、芸人の矢部太郎さん。このたび、父で絵本・紙芝居作家のやべみつのりさんと過ごした子供時代を描いた新作『ぼくのお父さん』を上梓した。矢部さんは東京都東村山市出身。実家の周囲には自然が残り、森や川原で遊んだ。一方で、手先が器用な父と共にカルタやドミノなども手作りし、家の外も中も様々な遊びにあふれていた。当時としては珍しく、外に働きに出ていた母、家にずっといた父、6歳上の姉、そして矢部さんという4人家族の日々が、幼少期のエピソードを中心に描かれている。

矢部太郎さん

「『大家さんと僕』が完結し、次に何を描こうかな、と思っていた時に、父が、僕が子供時代によく読んでいたドイツの絵本『おとうさんとぼく』を持ってきたんです。『太郎、これ好きだったよな。次はお父さんとの話を描けば?』という感じで。父はノリで言っただけだと思うのですが、『それもいいな』と思いました。『おとうさんとぼく』の作者はドイツ人のプラウエンで、ナチスの弾圧によって命を落としてしまった人です。父と幼い息子の日常がコマ漫画になっているんですが、ラストで2人が月に向かっていくという、ちょっと不思議なお話なんです」

 あまりお金はなかった矢部家だが、本はたくさんあった。

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「本を読むのはよいことだ、という家だったんです。絵本もたくさんあって、『かいじゅうたちのいるところ』が特に好きでした。学校の図書館でも本を読んでいて、安部公房とかも好きでした。漫画も大好きで、手塚治虫や萩尾望都などを読んでいて、手塚さんのファンクラブにも入っていました。大友克洋の『AKIRA』のカードゲームを自作したこともあります。作りたいだけだから、遊ばなかったんですけど(笑)」

 おやつにするつくしを取りに行ったり、屋根の上で大きな花火を見たり、友人たちと縄文土器を焼いたり……。1ページ8コマの中に、豊かな色彩で日々が綴られていく。

「土器は焼いたら割れてしまって失敗したんですけど、父は『買ったら終わり』とよく口にしていました。失敗してもよくて、大事なのは過程だと。僕自身もそういう考え方をしているなあと思います」

『大家さんと僕』で描いた幸せとは、別の種類の幸せを表現した、と矢部さんは言う。

 今後も、芸人と二足の草鞋を続けていくつもりだ。「どちらが幸せということではなくて、僕はどちらの時期も幸せでした。『大家さん』は経済的に豊かな方で、だから幸せだったのでは、と言われたこともあるのですが、そうではなくて、生き方が幸せだったんじゃないか。それを伝えたくて『ぼくのお父さん』を描いているところもあるかもしれません」

「芸人って、生き方そのものだと思います。だから、辞める、ということがない気がします。もちろん漫画も、次のテーマを温めていますよ」

やべたろう/1977年、東京都生まれ。97年にお笑いコンビ「カラテカ」を結成。舞台やドラマ、映画で俳優としても活躍している。初めて描いた漫画『大家さんと僕』で第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。他の作品に『大家さんと僕 これから』など。

ぼくのお父さん

矢部 太郎

新潮社

2021年6月17日 発売

「大事なのは過程だと父は口にしていました」『大家さんと僕』矢部太郎さんの見つめた『ぼくのお父さん』

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