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連載完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件

“自殺”したはずの松永太が、いきなり押入れの戸を開けて飛びかかってきた

完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件 #60

2021/06/29

genre : ニュース, 社会

「緒方を取り戻さなければ大変なことになる」と信じ込んだ一家

〈被告人松永は、「純子が子供を捨てて家出をした以上、自分と純子の2人の子供が大学生になるまで面倒を見るように。」「自分も緒方家の方で一緒に住む。」などと要求し、既に被告人緒方を分籍して隆也(仮名=緒方の妹の夫)を婿養子に迎えている緒方一家には実現困難な無理難題を押し付けたり、「純子1人で暮らさせていいのか。また何か犯罪をしでかすのではないか。」などと繰り返し申し向け、元来犯罪とは無縁の生活を送り、その体面を気にする環境にあった緒方一家に被告人緒方を取り戻さなければ大変なことになると信じ込ませて不安に陥れるなどした挙げ句、同人らに被告人松永の指示に従い同緒方を連れ戻さざるを得ないと思い込ませた。

 

 その上で、被告人松永は、和美、智恵子及び孝の3名に対し、自己が長崎県内の西海橋から投身自殺した旨の虚偽事実をでっち上げ、これを被告人緒方に伝えて「片野マンション」に呼び戻す芝居を打つことにして、孝らをしてこれに加担することを承諾させた〉

 そうしたなか、湯布院でスナックでの仕事を見つけて人心地のついた緒方が、14日の昼に実家へ電話をかけてきたのである。その際、応対した智恵子や孝は、松永に言い含められた通りの応対をした。それは、松永が自殺をしたということと、子どもたちの面倒を見る必要があるから、とりあえず小倉に帰ってこい、というものだ。

線香を焚いた部屋で、死んだはずの松永が…

 松永の自殺という“嘘”に衝撃を受けた緒方は、その日の仕事を終えてから、自分をホステスとして雇ってくれたスナック「ツバキ」(仮名)のママに手紙を残すと、夜間であるためタクシーに乗って小倉を目指した。湯布院町から北九州市へは、久留米市から北九州市へと向かうのと同じく、約100キロメートルの距離を2時間近くかけての移動だった。なお、緒方のタクシー代金約2万5000円は、「片野マンション」の前に迎えに出た孝が支払っている。

 緒方家からの連絡を受けた松永は、すぐに孝さんと和美さん、智恵子さんを「片野マンション」に呼び寄せ、一芝居を打たせた。判決文で語られる内容は以下の通りだ。

〈同月(4月)15日早朝、(緒方は)湯布院からタクシーで「片野マンション」に戻った。孝、和美及び智恵子が南側和室におり、松永の写真、遺書等を置き、線香を焚いていた。緒方が、孝に促されて松永の遺書を読んだところ、松永が、隠れていた押入から飛び出して、緒方を殴り付け、押し倒して馬乗りになり、孝、和美及び智恵子も緒方の足を押さえるなどし、緒方に対し、殴る蹴るの暴行を加えた〉

©️iStock.com

 つまり、緒方が祭壇の用意された部屋に入って座ったところで、自殺したはずの松永が、いきなり押入れの戸を開けて飛びかかってきたということだ。それはもはやホラー映画も顔負けの演出である。