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「寂しい」と言われるたび、大阪に仙台に駆け付けた… 野村克也が“最後の1年”に語っていた“第二の人生”

『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』に寄せて#1

2021/07/02

source : ノンフィクション出版

genre : エンタメ, スポーツ

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打ちのめされた死

 野村死去。

 テレビで速報が流れた昨年2月、呆然とした。「悲しい」という感覚を越え、体がムズムズして叫び出したいような強烈な怒りと苛立ちを自分自身に覚えた。

 しばらくしてつぶやいた。

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「どうしよう間に合わなかった…」

「本を作ろう。共著で出そう」

 そう2人で決めたのは、死の1年半前だった。

 私は野球のヤクルト番記者として2年という短い期間を過ごした。その後、プライベートな時間で20年以上、交流を続けてきた。深みのある技術論や投球の妙などは理解できないが、野村の心に寄り添い、とことん〈心の奥にある声〉を聴くことに集中した。そして、“お宝”を持っていた。〈私の心に刺さった野村克也の言葉〉を20年以上、記してきたノートだ。

©文藝春秋

「寂しい」という声から、本が生まれた

 リーダーとしての圧倒的な強さと存在感。その反動で、素顔の野村は孤独だった。そして穏やかな人だった。「寂しい」と電話口で言われるたび、阪神監督時代の大阪に、楽天監督時代の仙台に、私は休日を利用して駆け付けた。“愚痴の聴き役”だった。

 そこで得た話や言葉をもとに、最初に二人で手掛けた書籍が、野村語録の先駆けとなった『野村の流儀』(ぴあ刊)だった。

 選手、コーチ、歴代の番記者やアナウンサー30人以上に尋ねてまわった。「あなたが覚えている、心に残った、とっておきの野村さんの言葉を教えてほしい」

 これを機に“ノムさんのぼやき”が、世間で幅広く認知されるようになった、とひそかに自負している。

 しかし、本を作ることは〈目的〉ではなかった。文章や言葉を考えることに没頭すれば、指揮官は孤独を忘れることができる。少しでも気を紛らわせてほしかったのだ。

 今回も、妻・沙知代さんを亡くして落ち込み、「もう死ぬぞ」と何度も繰り返す“野村の孤独”を小さくしたかった。出版は、〈目的〉ではなく、生きるエネルギーを取り戻すための〈手段〉だった。

引退の年の野村克也 ©文藝春秋

ユニホームを脱いだ後…

 テーマは決めていた。

「ユニホームを脱いでからが、本当の勝負だ」

 近年、野村との会話の中で、私の心を最も捉えた“名言”だった。プロ野球選手はやがて引退する。「第二の人生をどうに生きるか、それが問われるんや」と、野村は何度も口にした。

写真:著者提供

 2019年の野村の誕生日には、書籍に掲載するため、「ユニフォームを脱いでからが勝負だ」と直筆の書をしたためてもらい、準備を整えていた。