昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2回の結婚と離婚、女性パートナーと同居を経て…勝間和代さん52歳が「血縁以外の人と一緒に暮らすのが苦手」なワケ

「文藝春秋」7月号「小さな大物」より

2021/07/13

 働く女性のロールモデルといえば、独身かDINKSがほとんどだった時代に、バツ2で3人の子持ちのバリキャリとして彗星のごとく現れ、次々とベストセラーを飛ばして多くのファン(カツマー)を魅了した勝間和代さん。50歳を超えた今、これまでの人生を振り返り、これからを語る。(「文藝春秋」2021年7月号より)

勝間和代さん

◆ ◆ ◆

4人きょうだいの末っ子で親も放任

 4人きょうだいの年の離れた一番下だったので、幼い時の思い出は、お姉ちゃん達からやたらいじられていたこと(笑)。服の上からですが、体中に洗濯ばさみをつけられたり、お兄ちゃんからプロレスの技をかけられたり。逆に、夏休みの宿題が間に合わないとなると、きょうだい総出で手伝ってくれたりもしました。

 兄がもっていた手塚治虫全集も全部読んでましたし、すぐ上の姉が「ザ・タイガース」のファンだったので、グループサウンズも聞いていました。だから私は、昭和40年代生まれですが、ライフスタイルは30年代っぽい(笑)。父と母は昭和5~6年生まれですし、食事は、白いご飯と魚が基本。実家が帝釈天のすぐそばだったので、よく参道で買ったイナゴの佃煮が食卓にのっていました。末っ子なんで、親も放任。読み聞かせなんてしてもらったことないし、しつけもあまり厳しくいわれませんでした。

4人きょうだいの年の離れた末っ子。一番上の姉は11歳年上。実家は帝釈天のすぐそばだった
母と北海道へ。「母は旅行が趣味でしたが、上のきょうだいは学校で行けないので、私だけ一緒に行くことが多かった」

優秀なのに活躍できなかった姉

 母親がすごくゲーム好きだったので、私もテレビゲームなどにハマり、コンピューターへの興味がわきました。中学生の時に1年間「コンピューターがほしい、ほしい」とうるさく言い続けたら、中学2年の時に父親が根負けして買ってくれました。当時、一式買うと軽自動車1台分くらいしたので、姉たちからずっと「和代の高いおもちゃ」と言われ続けましたが(笑)、部活もパソコン部に入り、ゲームや占いなどを自分で作っていました。

 11歳年の離れた一番上の姉はすごく優秀だったんですが、有名企業の一般職のOLとして就職したら、全然活躍できず寿退社しました。結婚式で、いろんな人が「大変、優秀なのにもったいない」というのを聞いて、当時私はまだ10代前半でしたが「仕事はちゃんと選ばないとヤバイんだな」と子ども心に感じ、自分は「専門職」を目指そうと決意しました。公認会計士を目標にしたのは、中学時代のお金持ちの友達のお父さんが会計士だと聞いたから(笑)。