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連載完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件

「借りられるだけ金を借りてこい」子どもが“人質”になり、緒方家は追い込まれていった

完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件 #62

2021/07/13

genre : ニュース, 社会

 起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。

 もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第62回)。

北九州監禁連続殺人事件をめぐる人物相関図

2人の子どもを“人質”に取られた智恵子さんと隆也さん

 緒方純子の2度の逃走により、緒方家を今後の“金づる”にすると決めた松永太の行動は早かった。

 緒方が2度目の逃走を企てた1997年5月から、松永はさらに頻度を増して、福岡県久留米市に住む緒方の父(孝さん=仮名、以下同)、母(和美さん)、妹(智恵子さん)を、同県北九州市の「片野マンション」(仮名)に呼びつけるようになった。

 また彼は、6月中旬になると、智恵子さんの夫である隆也さんも、同マンションに呼びつけるようになる。

 そこで松永は、これまで先の3人に話していたように、緒方が2件の殺人に関わっているということを隆也さんに説明し、さらにはその犯行の隠ぺい工作に、彼の妻やその両親が手を貸していることを明かしたのである。

小学生時代の松永太死刑囚(小学校卒業アルバムより)

 当初、松永は元警察官だった隆也さんを警戒。何事においても彼を持ち上げるなど、緒方曰く「特別扱い」をして、機嫌を取っていた。また、緒方家に婿養子として入った隆也さんの抱える不満を察知し、それらを聞きだすなどして、付け込む隙を狙っていた。

 やがて隆也さんも松永によって張り巡らされた罠にかかり、緒方家の3人がそうであったように、がんじがらめの状態に置かれてしまう。なかでもとくに大きかったのは、2人の子どもが“人質”に取られてしまったことだ。福岡地裁小倉支部で開かれた公判での、検察側の論告書(以下、論告書)には次のようにある。

〈平成9年(97年)6月ころからは、孝が農協に融資の申し入れをした際に保証人となった隆也も小倉に呼び出されるようになった。当時、緒方一家は、日中は久留米でそれぞれ働き、午後9時か10時ころには小倉に到着して、松永の金の要求に応えるべく金策の相談をさせられ、午前4時から6時ころに小倉を出発して久留米に戻っていた。当然ながら、緒方一家はひどい寝不足が続いており、当初は、久留米に花奈(仮名=隆也さんと智恵子さんの長女)と佑介(仮名=同長男)を残していることを口実に、小倉に来ることを避けようとしていた節があった。しかし、同年7月、松永が、花奈と佑介を祭り見物を口実に「片野マンション」で人質に取ってからは、どれほど体調が悪くとも、また用事があろうとも、毎晩のように小倉に呼び付けられることを断れなくなった〉