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“いじめ自慢”小山田圭吾を抜擢したオリパラ組織委 東京五輪開催の“意義”は「お・も・て・な・し」に尽きる…?

2021/07/20
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 東京五輪の開催意義をおさらいしておきます。

 菅義偉首相は「コロナに打ち勝った証し」を最近言わなくなりましたが、その代わりにお気に入りなのが「心のバリアフリー」です。

「このコロナの厳しい中で障害のある人もない人も、また、お年寄りも若い人もともに助け合うという共生社会。その実現に向けてまさに“心のバリアフリー”を世界に発信することは極めて大事だと思っている」(7月8日の会見)

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“心のバリアフリー”は会見中2度使い、強調していた(デイリースポーツ7月8日)。

東京五輪にも意義や意味はあるはず…

 そんななか、かつて雑誌で障害者いじめを嬉々として語っていた小山田圭吾氏を、大会組織委員会が開会式作曲担当として嬉々として発表する流れ(*1)。よりによってオリパラで。五輪に関わるエライ人たちってやっぱり「何も見えてない」ことがわかる。もしくは「そんなことどうでもいい」のだろう。このマインドってサブカルどころかえげつない強者の五輪です。感動をありがとう。

*1 小山田圭吾は7月19日に東京五輪の開会式作曲担当からの辞任を発表。

小山田圭吾(『クイック・ジャパン 』vol.3 太田出版)

 でも、でもですよ、やるからには今回の東京五輪にも意義や意味はあるはず。

 私が思う開催の意味は、滝川クリステルさんが言った「お・も・て・な・し」に尽きる。あのプレゼンは偉大だ。東京五輪の予言だったと思う。

 まず、IOCのバッハ会長は日本で熱いおもてなしを受けている。

『広島訪問平和訴えも…バッハ会長に「帰れ」』(スポーツ報知7月17日)

「スポーツ報知」7月17日の紙面

 帰れと言われてます。でもバッハはめげない。ノーベル平和賞狙いと言われているバッハは「日本国内の反応ではなく、国際政治的な目で物事を見ている」(IOC委員と親交の深い関係者・毎日新聞7月17日)。

 日本人の視線なんてどうでもいいのだ。そういえば昨年秋にバッハが来日したとき北京五輪のことをやたらと気にしていた。