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《古賀欠場の“大きすぎる穴”》女子バレー・中田ジャパン コート外の「派閥」問題

同じ寮に住み、選手のプライベートも観察した監督 #1

2021/07/31

 東京五輪初戦で世界ランク24位のケニアを下した女子バレー日本代表だが、その戦いの中でチームの中心選手・古賀紗理那(25)が負傷退場。古賀が欠場した続く第2戦のセルビア戦はストレート負け、強豪ブラジルにもストレート負けを喫した。1勝2敗となりA組4位に転落した背水の日本代表は、7月31日、因縁のライバル・韓国と1次リーグ突破をかけた大一番に挑む。

 指揮を執るのは前回のリオ五輪終了後から代表監督を務める中田久美だ。「バレー界初の五輪女性監督」となった中田には五輪にかける並々ならぬ思いがあった――。ジャーナリストの吉井妙子氏が寄稿した「文藝春秋」2019年9月号の記事を転載する。(※日付、年齢、肩書きなどは当時のまま)

(全3回の1回目/第2回に続く)

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◆ ◆ ◆

「フチ子さん」――。私は女子バレー全日本監督の中田久美を密かにそう呼んでいる。人気キャラクター「コップのフチ子さん」はコップの縁に腰を下ろし、あるいはしがみつき、際に生きながらも泰然としている。そんな姿が中田の人生に似ていると思ったからだ。しかも中田は、外的要因で崖っぷちに追い込まれるのではなく、安閑(あんかん)の日々が訪れるとすぐさま崖を求めて突っ走る。

 そんなフチ子さんからこの10年、「私」という主語が消えた。取材、あるいはプライベートで話しても、彼女の主語は、チームか選手。バレーやチーム、あるいは選手らの話題には言葉を無尽蔵に繋げるが、中田自身の話題は会話から消えた。

女子バレー日本代表監督・中田久美氏 ©文藝春秋

 中田にそう告げたことがある。すると中田は「そうですかぁ?」と一瞬遠くを見やり、キリッとした視線を向けてきた。

「確かにここしばらく、自分のことなんて考えたことがなかったですね。そもそも今、自分に興味ないですもん」

「チームの熟成には8年かかる」と言われる中で

 中田が全日本監督に就任したのは2017年4月。監督就任挨拶で中田は高らかに宣言した。

「伝説のチームを作りたい。目標はもちろん、東京五輪での金メダル」

 中田は現役時代から、高い目標を掲げないとそこには決して近づけないとよく口にしていた。だが、現実を見ればかなり厳しい。ロンドン五輪でこそ銅メダルを獲得したものの、4年後のリオ五輪は準々決勝で敗退。しかもエースだった木村沙織をはじめとする主力選手がこぞって引退。チームの司令塔となる突出したセッターも不在だった。

1964年東京五輪での大松ジャパン祝勝会 ©文藝春秋

 バレーはコート上の6人が1ミリの隙もなく考えを同じにし、判断を一致させないと空間を支配できない。そのため、チームを熟成させるには8年の歳月を要すると言われてきた。事実、金メダルを獲得した1964年の東洋の魔女、76年のモントリオール組は、故大松博文、故山田重雄がそれぞれ8年かけて作り上げたチームだった。

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