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2021/08/30

 数時間後、貴乃花が記者会見を開く。破談を申し入れたのは自分だと語り、記者に理由を聞かれ、「愛情がなくなった」と答えて、「無責任ではありませんか」と責められた。

 5月に予定されていた、りえと貴乃花の結婚は流れ、6月、皇太子と小和田雅子さんのご成婚に世間は歓喜した。

京都のホテルで自殺未遂騒動を

 この破局から、快進撃を続けていた「宮沢りえ」の歯車は狂い始める。CDは売れず、出演したドラマは振るわず、CMの話は来なくなった。加えてりえは、傍目にも明らかなほど痩せていった。

 平成6(1994)年、歌舞伎役者で妻子ある中村勘三郎(当時は勘九郎)との交際が噂されたのは、たけしの時と同様、光子の思惑が働いたからだった。酒井が振り返る。

「勘三郎さんのような男性と付き合うことは、芸の上でも、女性としてもプラスになると光子さんは考えていた。でも、ビートたけしさんの時もそうですが、母親にけしかけられたら、男性はむしろ引きます。りえさんが交際を心から望んでいたのは、勘三郎さんとは別の若い歌舞伎役者さんだった。その人には恋人がいて完全な片思いでした」

©文藝春秋

 片思いの相手、市川右團次(当時は右近)に元モデルの恋人がいると週刊誌に報じられた約10日後、母親と大喧嘩をしたりえは京都のホテルで自殺未遂騒動を起こす。同ホテルに勘三郎も泊まっていたため、大騒ぎになった。

 さらに翌年には映画『藏』を突如、降板。浅野ゆう子の次に名前がクレジットされることに対する抗議が理由だと報じられ、一斉にバッシングを受けた。倉本聰脚本「北の国から」では元AV女優の幸薄い女性を演じたが、あまりにも痩せた姿が痛々しかった。

 一方、貴乃花は絶頂期にあった。この年の初場所から横綱となり、5月に元人気アナウンサーの河野景子と結婚。9月に第一子を授かった。

 昭和から平成の初めまで女性スターは主に女優か歌手だった。だが、平成に入って突如、テレビ局の女性アナウンサーたちがその座を奪い始める。容姿に恵まれ、学歴もあり高嶺の花とされる。その頂点にいた1人がフジテレビの河野だった。

 平成8(1996)年1月、りえ親子はひっそりとロサンゼルスに居を移した。酒井は出立を見送った。

「事実上、芸能界を追放されたようなもので、痛々しい旅立ちでした」

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