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2021/08/30

再び日本に戻り、20代後半で本格復帰

 りえが再び日本に戻り、仕事に本格復帰するのは、平成13(2001)年前後。ちょうど、小泉旋風が吹き荒れ、第一次小泉政権が誕生した頃だ。りえは20代の後半になっていた。

 幸先の良いスタートだった。山田洋次監督に抜擢され、平成14(2002)年公開の『たそがれ清兵衛』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞する。

 翌々年には野田秀樹作・演出の舞台「透明人間の蒸気」に初主演。30歳になっていた。りえとの出会いを野田はこう振り返る。

「人に紹介されてアムステルダムで出会いました。とにかく痩せていて、どうしてだろうって。僕は当時、イギリスにいたし、芸能ニュースには疎かったので、あんまり彼女の事情を詳しくは知らなかった。でも、話してみると、とにかく陽気で面白い子だった。舞台に出てもらったのは、それから3、4年後。華奢で線が細い印象がありましたが、舞台に立つと周囲の空間まで支配してしまうオーラがあった。これは演出して出るものじゃないし、訓練してどうなるものでもない。持って生まれたものです」

©文藝春秋

 野田はその後、主演女優として宮沢りえを使い続け、「圧倒的に信頼している」と話す。

「漢字は読めないんだけれど(笑)、本(脚本)を非常に深く読める。演出家の予想を超える演技で返してくれる」

 野田や蜷川と親しく、数々の舞台を見続けてきた演劇評論家、長谷部浩の評価も高い。

「声、姿、顔のどれをとっても女優として傑出している。大女優と呼ばれるのも時間の問題だと思います」

「りえちゃんは見事に演じ、作家そのものだった」

 更に映画『父と暮せば』で評価され、フジテレビ「女の一代記」シリーズでは、『瀬戸内寂聴~出家とは生きながら死ぬこと』に主演。瀬戸内を演じて評判になった。りえはこの作品に大変なこだわりを見せ、剃髪するシーンでは自分の髪を実際にそり落とすと言い張り、周囲に止められる。

「私をどうしても演じたいっていうんだけれど、美人の作家なんてリアリティがないからダメだって反対した。でもりえちゃんは見事に演じ、作家そのものだった。驚きました」

 瀬戸内の生涯をそれほど演じたいと思った理由はどこにあったのだろう。瀬戸内に尋ねた。

瀬戸内寂聴氏 ©文藝春秋

「本人に聞いていないからわかりませんが、私は家庭の主婦、小説家、出家者と変化していった。変わりたい、新しい人生を歩みたい、という思いが、当時のりえちゃんにもあったのかもしれません」

 話題性や人気がかつての「宮沢りえ」を支えていた。だが、りえはロスでの日々を経て、演技力のある女優として再スタートを切ったのだ。

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