「りえにはカッコいい女になってもらいたいの」
光子は結婚の実態を知る先達として、りえに同じ轍は踏ませたくないと思っていたのだろうし、結婚すれば幸せになれるといった他力本願な生き方も嫌った。「りえにはカッコいい女になってもらいたいの」と周囲に語っていたという。
経済的にも精神的にも肉体的にも自立した自由な女、それが光子の理想とする女性像だったのだろう。光子が生きた昭和の時代、光子自身は理想を実現することはできなかった。その夢を娘の肉体を使って果たし、日本の男性社会に一矢、報いたかったのかもしれない。
昭和の末期に男女雇用機会均等法ができたものの、平成の経済停滞のなかで、十全には機能せず、むしろ保守化が進み、松明を掲げて女性たちを導く自由の女神は忌み、敬遠された。「宮沢りえ」は一度、居場所を失い、再び日本に戻ってからは注意深く世間と距離を取り、演技力という鎧で身を守っているようにも見える。
映画プロデューサーの奥山和由は、りえの平成における変化をこう語る。
「大人になり光子さんから離れる過程で、女優としてのスキルを磨く方向に向かった。その努力は立派だったと思う。でも、演技力という殻で身を覆い、固い女優になってしまった印象もある。
りえちゃんは自分の中にある昭和の情念のようなものを消して時代に合わせた。時代を的確に読んだけれど、少しそれが残念でもあるんだ。スターは多くの人の気持ちを引っ張っていくものだから、りえちゃんが相変わらず昭和っぽくて、松田優作が生きていたら、こういう平成じゃなかったかもしれない。
今の『宮沢りえ』は、本来の『宮沢りえ』を眠らせ、封印した上に成り立っている。意図的にりえちゃんが眠らせたんだと思う。でも、次の時代では、もう一度『宮沢りえ』で暴れて欲しい」
宮沢りえは昭和の残照がまだ色濃く残る中で、「宮沢りえ」というスターになった。
貴乃花との破局が伝えられた頃、昭和の名残も完全に消え、様々な問題点が噴出し、平成の不況へと突入していった。その「失われた10年」に、「宮沢りえ」もまた失われた。
女優として最も恵まれていただろう20代に、代表作を持てなかったのは彼女自身のせいなのか。それとも彼女を生かせなかった時代の責任なのか。
文字通り「平らかに成る」時代。すべてが平均化され停滞した。
ネット社会の到来もまた、社会の在りよう、人の意識を大きく変えた。憧れはすぐさま嫉妬に変わり、目立つものは標的とされ、スターであっても否応なく批判される。
平均化される世の中において、あまりにも突出していた彼女は傷つけられ、生き方を変えていった。時代の象徴、それがスターだ。
平成時代の光と影を、「宮沢りえ」の半生は浮き彫りにする。
(文中敬称略)
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