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《沖縄上陸作戦》「死んでくれ、というのだな」“自殺行”出撃した駆逐艦長に下された異例の“命令”

『戦争というもの』より#1

2021/08/15

genre : 社会, 歴史, 読書

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 『昭和史』や『日本のいちばん長い日』など、数々のベストセラーを遺した昭和史研究の第一人者・半藤一利さんは今年1月に90歳で亡くなられました。太平洋戦争下で発せられた軍人たちの言葉や、流行したスローガンなど、あの戦争を理解する上で欠かせない「名言」の意味とその背景を、わかりやすく教えてくれた半藤さん。

 開戦から80年の節目の年に、「戦争とはどのようなものか」を浮き彫りにした、後世に語り継ぎたい珠玉の一冊『戦争というもの』(PHP研究所)より、一部を紹介します。(全2回の1回目/後編を読む)

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 硫黄島の壮烈な戦闘と玉砕に、日本国民の涙のかわかない4月1日、ものすごい大兵力を投じて、米軍は一気に沖縄への上陸作戦を敢行してきました。

 戦艦十数隻をはじめ艦艇1317隻、航空母艦に載っかった飛行機1727機。上陸部隊は海兵隊二個師団、陸軍部隊二個師団を基幹とする18万2000人。ひしめき合う上陸用舟艇に、嘉手納沖の海面は埋まりました。防衛省や沖縄県の資料によると、結局、沖縄攻略作戦に従事した米軍の総兵力は、54万8000人にのぼったといいます。

©文藝春秋

 迎え撃つ日本陸上部隊は、牛島満中将が指揮する第32軍6万9000人余、大田実少将の海軍陸戦隊8000人余の、合計7万7000人でした。寡兵もいいところです。仕方なく満17歳から45歳までの沖縄県民2万5000人を動員しました。

 男子中学校の上級生(満15歳以上)1600人もこれに加えられます。さらに女学校の上級生600人も動員されました。これが「ひめゆり部隊」「白梅部隊」としてのちに知られるようになったのは、ご存じのとおりです。

 沖縄を占領されれば、つぎは本土決戦です。その準備はできていませんから、とにかく沖縄で時をかせいで頑張ってもらうしかないのです。といって、制空権・制海権を奪られていますから、本土から陸軍の大部隊の援軍を送ることはもうできません。さらに読谷、嘉手納、小禄、伊江の沖縄の日本軍の飛行場は、すでに猛攻撃をうけて壊滅しています。いきおい本土の九州を各基地として、飛行機による十死零生の特攻攻撃をかけるほかはないのです。

 大本営はここに沖縄防衛のための天号作戦を下令、杉山元陸相は全国民にむけて勇ましい談話を発表しました。

「肉を斬らせて骨を断つ。これが日本剣道の極意である。戦争の極意もまた然りである。かならず敵を殲滅して宸襟(天皇の心)を安んじ奉る」