東京オリンピック・野球で日本代表“侍ジャパン”は準決勝で韓国に5対2で勝利。8月7日夜の決勝でアメリカを相手に初の金メダルを目指す。2004年、アテネ五輪野球の日本代表監督をつとめた長嶋茂雄さん(85)は、コロナ下での開催に心を痛めながらも、参加するアスリートたちに寄り添って「まず優勝して欲しい! とにかく金メダルを取って欲しい!! その金メダルの鍵となるのは、“日本野球の素晴らしさ”を世界に誇ることだと思います」と「文藝春秋」に激励のメッセージを寄せた。
長嶋さんの緊急入院からアテネ大会の銅メダルに至るまでを取材した、ジャーナリスト・鷲田康氏による「長嶋茂雄と五輪の真実」第2回(「文藝春秋」2021年6月号)を転載する。(全2回の1回目/後編に続く)
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「長嶋さんが倒れて入院したという速報が」
2004年3月4日、アテネ五輪野球日本代表監督の長嶋茂雄は東京・大田区田園調布の自宅で倒れ、新宿区河田町にある東京女子医大病院に緊急入院した。
日本代表ヘッドコーチの中畑清がその一報を聞いたのは、知り合いのスポーツ紙記者からの電話だった。
「大変なことが起こりました。長嶋さんが倒れて入院したという速報がテレビで出ています」
中畑は一瞬、何が起こっているのかを理解することができなかった。
「だってオレの知る長嶋さんには、病気というイメージなんか、これっぽっちもなかったからね。まず思ったのが『ウソだろう!』って。それしかなかったよ」
すぐさまテレビをつけた。各局のニュース番組、ワイドショーでは神妙な面持ちでアナウンサーが「長嶋入院」の速報を伝えていた。入院先の東京女子医大病院の周りにはすでにテレビの中継車が繰り出し、画面からは詰めかけた新聞記者やマスコミ関係者で騒然とした雰囲気に包まれる様子が伝えられていた。
「最初は現実をなかなか受け入れられなかった。でもよくよく考えてみると、長嶋さんは代表監督になってから、病気になるような世界でずっとやってきたのは確かだったなと思ったんだ」
中畑の頭にはある出来事が引っかかっていた。
アテネ五輪への出場権を獲得した03年11月のアジア最終予選(アジア野球選手権)。大会後に長嶋が極秘入院をしていたという話を聞いていたからだった。