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2021/08/07

長嶋が麻痺のある右手で日の丸に書いた「3」

 8月4日。チームは翌5日に直前合宿地、イタリア・パルマに向かうため千葉・成田市内のホテルに集合。そこに一茂が長嶋から託された幅2メートルの日章旗を携えてやってきた。

 その日のミーティングで、一茂の手から宮本の手へとその日の丸の旗が託された。旗の左上には、長嶋が掲げた「FOR THE FLAG」というチームスローガン。その下には赤文字で「長嶋 JAPAN」と印刷されている。そしてその下には長嶋が麻痺のある右手で認(したた)めた「3」という数字がくっきりと入れられていた。その線は細く揺れている。太いマジックだとペン先が旗の布に引っかかってうまく書けないので、あえてペン先の細いサインペンで書いたものだった。そしてその少し揺れている文字が、長嶋のこの代表チームにかける思いと、そして病の後遺症の大きさを物語るものでもあった。

「3」という数字が書かれた日章旗 ©JMPA

「あの旗の『3』という文字を見て、すごい感動と同時に大変なことが長嶋さんの身に起こったんだなと改めてショックも受けました」

 こう振り返ったのは高橋だった。

 一茂は、長嶋の思いを伝えた。

「(指揮断念の)会見では落ち込んだ様子はないと言いましたが、今日、話をしたら寂しそうだった。本人が一番寂しさを感じていると思う。右手が動かない中で、『3』という数字がすべてを表していると思う。魂を込めている。父の言いたいことは分かっていただけると思う」

 この旗のために――。

©JMPA

 その日の丸を見た瞬間に選手の誰もが思ったことだった。

「これまで何度か国際大会には出てきましたが、正直、これほどまでに日の丸を意識したことはなかったです。これまでは国を背負っている意識もあまり感じたことはなかった。でも予選から長嶋さんが『FOR THE FLAG』というスローガンを掲げて、そしてホテルであの旗を見た瞬間に、改めてこの旗のために、そしてそこにメッセージを込めた長嶋さんのためにという両方の思いが溢れてきました。そういう雰囲気にする。それが長嶋さんなんです」

 高橋は迸(ほとばし)る思いをこう語った。

 夕食会冒頭で、宮本がこう檄を飛ばして選手の気持ちを引き締めた。

「昨日まではペナントレースだったけど、今日からは気持ちを切り替えて日本のため、日本のプロ野球のため、日本球界のため、長嶋監督のため、一丸となって金メダルを取って帰りましょう」

 全員が力強い拍手と歓声で、このキャプテンの呼び掛けに答え、この夕食会は即席の出陣式となっていた。

 8月5日、成田空港へ向かうバスに乗り込もうとしていた中畑の元に、宮本が歩み寄ってきた。

「中畑さん、大変なことを引き受けましたね。これからはもっと大変だと思いますけど、この苦労を共に分かち合っていきましょう」

 中畑は「ありがとうな。お前が(キャプテンを)やってくれなかったら、何もできないんだからな」と答えて、宮本の手を握った。

「あのやりとりは忘れられないよ。コーチにも感謝しているけど、あの言葉はアテネに向かうオレにとっては最高の励ましだったし、ずっと財産になった言葉だった。(宮本)慎也がああ言ってくれたことで、現場の仲間がみんな同じ方向を見て、一つになっていることを確信できた。このチームなら勝てるんじゃないかと思って日本を出発できた」

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