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2021/08/07

完全に肘が“飛んだ”高橋由伸

 このパルマ合宿で実はもう1人、ケガで窮地に陥った選手がいた。

 高橋由伸である。

 パルマではアテネ入り直前の8月8、10両日に、現地のセリエAの選抜チームと2試合の練習試合を行った。高橋はその2試合で本塁打を連発。本大会に向けて絶好の仕上がりを見せていた。

「春のキャンプから右肘の状態がおかしかったんですけど、それでも何とかできていたんですね。それがパルマの合宿の最中にまたやってしまって、完全に肘が“飛んで”しまったんです」

 特に影響が大きかったのがスローイングだった。

「ボールを投げるとむっちゃ痛くてどうしようもなかった」

 高橋は主将の宮本にこのケガの報告をした。すると宮本から返ってきた返事はこうだったという。

高橋由伸(右) ©共同通信社

「オマエ、ここまで来て痛いとか、痒いとかないからな!」

 もちろんこのやりとりは宮本と高橋の間の信頼関係があってのものだ。だから高橋もこの宮本の言葉で覚悟を決めた。

「分かっていますよ。その代わり慎也さん、何かあったら責任とってくださいよ!」

 こう返事をすると、その後も黙ってグラウンドに立ち続けた。

「それから毎日、涙が出る思いで野球をしていました。しかも肘が“飛んで”いることを知っているので、日本に戻ってからは、福留とかみんな、僕の前に打球が飛ぶと走ってくるんですね(笑)。日本に戻った9月に精密検査をしたら、遊離骨が関節に挟まってロックしていました。炎症を起こして水が溜まって、ほとんど肘が曲がらなくなっていて、そのまま手術することになりました」

 こうしてケガを押してグラウンドに立つ決意をした高橋や木村だけでない。中畑や高木、大野豊のコーチ陣も、選手や裏方のスタッフたちも、ある種の悲壮感を抱えながら五輪本番へと突き進んでいた。

 長嶋茂雄という国民的カリスマを将として、初めてオールプロで結成されたドリームチーム。野球ファンだけではない、国民の期待はただ一つ、金メダルを持って帰ることだった。

©文藝春秋

 しかしチームが五輪にかけた一番の思いは、それとは違うところにあったと語るのは、主将の宮本だ。

「もちろん野球界のためにとか、応援してくれる日本の人々のためにという思いはありました。ただ、何が一番強かったかというと、やっぱり長嶋さんのために勝たなければならないということでした。日本で待っている長嶋さんのところに金メダルを持って帰って、喜ぶ顔が見たい。それが一番強かったです」

 宮本は静かにこう振り返った。

 8月11日、長嶋ジャパンの代表チームは決戦の地・アテネに乗り込んで行った。(文中一部敬称略)

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