東京オリンピック・野球で日本代表“侍ジャパン”は準決勝で韓国に5対2で勝利。8月7日夜の決勝でアメリカを相手に初の金メダルを目指す。2004年、アテネ五輪野球の日本代表監督をつとめた長嶋茂雄さん(85)は、コロナ下での開催に心を痛めながらも、参加するアスリートたちに寄り添って「まず優勝して欲しい! とにかく金メダルを取って欲しい!! その金メダルの鍵となるのは、“日本野球の素晴らしさ”を世界に誇ることだと思います」と「文藝春秋」に激励のメッセージを寄せた。
長嶋さんの緊急入院からアテネ大会の銅メダルに至るまでを取材した、ジャーナリスト・鷲田康氏による「長嶋茂雄と五輪の真実」第3回(「文藝春秋」2021年7月号)を転載する。(全2回の1回目/後編に続く)
◆ ◆ ◆
ベンチ裏で治療を受けたエース松坂
「思ったよりボールが(自分の身体の)内側に入って目を離してしまいました」
西武・松坂大輔はその瞬間をこう振り返った。
2004年8月17日。アテネ五輪野球の日本代表は、アテネ郊外にあるエリニコ・オリンピック・コンプレックス内のメイン球場で、金メダルへの最大のライバルとなるキューバとの試合を戦っていた。
日本は2回に西武・和田一浩のツーランで先制すると、4回にはダイエー・城島健司と近鉄・中村紀洋の連続アーチで2点を追加。4対0と試合を優位に進めていたが、アクシデントがエースを襲ったのである。
4回1死からキューバの3番、ユリ・グリエルの強烈なライナーが松坂を直撃した。
グリエルが打った瞬間に、松坂は体を捻ってボールを避けようとしたが、それが逆にボールから目を離すことになってしまった。打球は右肘の上を直撃。3塁線に跳ねたボールを追いかけ、一度はそのボールを拾い上げたが、タイムがかかると同時にポロリと地面に落とした。ベンチから慌ててヘッドコーチの中畑清が駆け寄った。
ベンチ裏に引っ込んで治療を受けた松坂。しかしアクシデントにも気力は全く衰えていなかった。
「一瞬しまったと思いましたけど大丈夫。自分から『投げたい』と言いました」
この松坂の気迫とともに、続投を躊躇する首脳陣を押し切ったのは、女房役の城島の冷静な声だった。
「次に一球投げて、もしオレがダメだと思ったら、ベンチに交代のサインを出します」
アイシングとテーピングによる治療をして再び上がったマウンド。4番のオスマニー・ウルティアへの初球は141kmで、初回の154kmから13kmもダウンしていた。しかもウルティアには中前安打を許して1、2塁とピンチは広がった。
しかし城島は、ベンチに降板のサインを出そうとはしなかった。
「長嶋(茂雄)監督のために、何としても踏ん張って勝とうという気持ちで一杯だった」
こう語るエースのボールに「しっかり指にかかっていたし、意思のある球だった」と城島も手応えを感じたからだった。
すぐさま球速が150km台に戻ると、続くフレデリク・セペダとアリエル・ペスタノを連続三振に仕留めてピンチを切り抜ける。9回に3失点して救援は仰いだが、8回までキューバ打線を四安打無失点に抑える完璧なピッチングを披露。日本は6対3でキューバを破り、松坂自身もシドニー大会に続く2度目の五輪出場で初勝利を手にした。