昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

中田久美監督と日本女子バレー “惨敗”は2年前に決まっていた

 東京五輪の象徴だった「東洋の魔女」から57年、日本女子バレーは格下のドミニカに覇気なく敗れ、25年ぶりの予選リーグ敗退に終わった。「伝説のチーム」を宣言して就任した中田久美監督(55)のチームはいかにして崩壊したのか。

◆ ◆ ◆

監督としての実績振るわず

 中田といえば、バレー界のレジェンドだ。

「史上最年少の15歳で全日本入りした中田は、84年のロス五輪では銅メダル獲得。その後もソウル、バルセロナと三度の五輪を経験し、天才セッターと呼ばれました。監督になってからは久光製薬を優勝させ、代表監督に就いたのです」(バレー関係者)

中田久美監督

 だが、メディアでの高評価とは裏腹に、成績は芳しいものではなかった。18年の世界選手権では6位。そして翌年、東京五輪の試金石となるW杯を迎えた。

「強豪に全く歯が立たず、韓国にも敗れて3勝5敗となった。これではメダルどころではないと、協会内で、解任を模索する動きが出た」(協会関係者)

「1位撃破」で解任論は消えたが……

 だが、思わぬ神風が吹く。9戦目のセルビア戦にフルセットの末、勝利する。当時、セルビアは世界ランク1位。テレビは「1位撃破」と持ち上げた。

「とても感動しました。みんなで応援しましょう」

 こう賛辞を送ったのが、ラグビー日本代表のリーチマイケル主将だった。

「当時、ラグビーもW杯を開催中。リーチはアイルランド戦前夜、セルビア戦を見て、刺激を受けたと語ったのです」(スポーツ紙記者)

 

 このエールによって、解任論は消えた。だが――。

「実は、W杯の時のセルビアは事実上の二軍だったのです。ここに勝っても、実力の証明にならないのですが……」(同前)

 メダルの“最後のチャンス”はこうして失われた。