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藤井聡太に6連勝 “孤高の棋士”豊島将之はなぜ頂点に上り詰められたのか

藤井聡太に6連勝 “孤高の棋士”豊島将之はなぜ頂点に上り詰められたのか

棋士がよみとく「夏の十二番勝負」 #1

2021/08/18
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 豊島将之竜王・叡王と藤井聡太王位・棋聖による夏のダブルタイトル戦、「十二番勝負」が現在進行中だ。ここまでの2人の対戦で、何を考え、どういう作戦をぶつけたのか、戦いを振り返ってみよう。まずは豊島のここまでの歩みを振り返ってみる。

王位戦、叡王戦の番勝負を同時並行で戦っている豊島将之竜王・叡王と藤井聡太王位・棋聖 写真提供:日本将棋連盟

「いぶし銀」師匠の薫陶

 豊島の師匠の桐山清澄九段は、中原誠名人や私の師匠の石田和雄九段と同じ1947年生まれの73歳。居飛車も振り飛車も指しこなすオールラウンダーで、昭和を代表する名棋士だ。銀を使うのが得意で、派手ではなく渋い好手が多いので「いぶし銀」の異名を持つ。

 1976年のA級順位戦の加藤一二三九段戦では、桐山は四間飛車で加藤の棒銀を破り、この将棋はそのまま定跡となった。それから24年後、2000年の藤井猛竜王対羽生善治五冠の竜王戦七番勝負第5局では同じ将棋になり、居飛車の羽生が50手目に工夫して勝っている。また居飛車横歩取りでも独自のアイディアを生み出し、桐山将棋を参考に若手棋士が工夫したことが、横歩取りが再流行するきっかけとなった。

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 1980年のA級順位戦では、桐山は居飛車と振り飛車を自在に指し分け7勝2敗で挑戦権を獲得した。中原との名人戦では振り飛車は中飛車と三間飛車を、居飛車はひねり飛車を採用した。結果は1勝4敗で敗退となったが、唯一の勝局となった第4局は当時中学1年だった私の印象に残っている。先手三間飛車を採用し、中原の急戦に対し攻めの銀が玉頭まで進軍してペースを掴み、そして終盤には美濃囲いの守りの銀を中央まで駆け上がって寄せたのだ。「いぶし銀」の異名通りの名局だった。桐山はいまだに現役で棋界最年長である。

 桐山と豊島が初めて出会ったのは桐山50歳、豊島8歳のとき。桐山は豊島の才能を見抜き、月に1回自宅で将棋を指した。史上最年少の9歳で奨励会に入り、16歳で四段になるまでずっとだ。

現在も将棋の研究を欠かさず、ジムに通っている現役最年長棋士、桐山清澄九段 ©文藝春秋

石田流もゴキゲン中飛車も指しこなすオールラウンダーに

 私の取材ノートには2018年5月1日、豊島が棋聖戦の挑戦者決定戦で三浦弘行九段を破って挑戦者になったときのメモが残っている。

「対局中は厳しい顔だったが、打ち上げではいつもの豊島に戻った。師匠の話になり、『奨励会時代に月イチでずっと将棋を教わりました。師弟ともにお酒を飲まないので、ケーキを食べながら師匠の作った詰将棋や次の一手の話をしました。師匠は何でも指してくるんです。居飛車も振り飛車も相掛かりもひねり飛車も』と話しながら人懐っこい笑顔を見せる」

 桐山に教わったことで、豊島は石田流もゴキゲン中飛車も指しこなすオールラウンダーになった。2014年の羽生善治王座に挑戦した王座戦五番勝負第4局では、先手番だった豊島が中飛車で勝った。久保利明九段との2度の王将戦では、4度も相振り飛車を指している。