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「爽彩は中学に入学してからはいつも、塾に行く時間が来るまで、そこで勉強をしたり、小説を読んだりして過ごしていました。やがて、その公園で、同じ中学の先輩らと顔見知りになる中で、2学年上のA子と知り合ったのです。

 最初のうちA子とは、公園で話したり、夜に帰宅してからは音声を繋ぎながらネットゲームをしていたようです。ただ、A子の友人のB男と、近隣の別のZ中学校に通うC男がグループに加わると様子がそれまでとは変わっていきました。夜ゲームをしている時も、わいせつな会話をしながら、ということが増えていったそうです。この頃から、A子、B男、C男らによるイジメが始まったようなんです」(同前)

イジメをうけた後に爽彩さんが描いた絵(母親提供)

 天真爛漫だった爽彩さんの表情からは笑顔が消え、家でも暗く思い悩んでいる様子を見ることが多くなった。5月には、生まれて初めて母親に「ママ、死にたい……」と洩らしたという。前出・親族が続ける。

「今までそんなこと言ったことがなかったのに、部屋からぽっと出てきて『ママ死にたい、もう全部いやになっちゃって』と。母親が『何があったの? イジメとかあるんじゃないの?』と聞くと、『大丈夫。そういうのじゃない』と答えたそうです。

 ゴールデンウィークには、深夜4時くらいにB男らにLINEで呼び出された爽彩が、いきなり家を出て行こうとしたところを母親が止めるという出来事もありました。母親がいくら止めても、爽彩は『呼ばれているから行かなきゃ』と、すごいパニックを起こしていた。ようやく引き止めたものの、その後もひどく怯えていたそうです」

C男が脅迫《動画送って》《写真でもいい》

旭川東警察署 ©文藝春秋

 一体、爽彩さんの身に何が起きていたのか。のちに母親らが警察やイジメグループの保護者などに聞きとって判明したのは、C男が爽彩さんに対して、しつこく自慰行為の動画や画像を送るよう要求していたことだった。取材班も現地関係者に取材する中で、C男が爽彩さんに対して送っていたLINEのメッセージを確認した。

 6月3日、C男は爽彩さんに対して、次のLINEメッセージを送っている。

《裸の動画送って》

《写真でもいい》

《お願いお願い)

《(送らないと)ゴムなしでやるから》

 C男は爽彩さんに自慰行為の写真を携帯のカメラで撮って送るようしつこく要求。まだ12歳だった爽彩さんは何度も断ったが、上記のような暴力をちらつかせ脅迫するようなメッセージもあり、恐怖のあまり、自身のわいせつ写真をC男に送ってしまったという。それを機に、A子、B男、C男らによるイジメが目に見える形で露骨になってきた。