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「イジメはなかった。彼女の中には以前から死にたいって気持ちがあったんだと思います」旭川14歳女子凍死 中学校長を直撃《遺族が手記公開》

旭川14歳少女イジメ凍死事件 #6

genre : ニュース, 社会

 今年3月、北海道旭川市の公園で凍った状態で発見された廣瀬爽彩(さあや)さんの遺族の代理人が8月18日、市内で記者会見を開き、遺族の手記を公開した。

 文春オンラインでは、これまで、爽彩さんが凄惨なイジメを受けていたこと、失踪直前までそのイジメによるPTSDに悩まされていた事実などを報じてきた。これらの報道を受け、今年4月旭川市はイジメが実際にあったかどうか再調査を開始した。遺族は今回公表した手記の中で、「爽彩に何があったのか、真相を明らかにして欲しいと願っています」と改めて訴えた。

 真相解明の一助になることを願い、当時の記事を再公開する。(初出2021年4月18日、肩書き、年齢等は当時のまま)

※本記事では3つの中学校が登場します。X中学校は、廣瀬爽彩(さあや)さんがイジメを受けた後に転校した学校。Y中学校は2019年4月から9月まで、イジメをうけた時に在籍していた学校。Z学校は、加害者生徒のC男、D子、E子が通っていた学校です。

 

 また本記事では廣瀬爽彩さんの母親の許可を得た上で、爽彩さんの実名と写真を掲載しています。この件について、母親は「爽彩が14年間、頑張って生きてきた証を1人でも多くの方に知ってほしい。爽彩は簡単に死を選んだわけではありません。名前と写真を出すことで、爽彩がイジメと懸命に闘った現実を多くの人たちに知ってほしい」との強い意向をお持ちでした。編集部も、爽彩さんが受けた卑劣なイジメの実態を可能な限り事実に忠実なかたちで伝えるべきだと考え、実名と写真の掲載を決断しました。

「(ウッペツ川に飛び込んだ事件について)お母さんの認識はイジメになっていると思いますが、事実は違う。爽彩(さあや)さんは小学校の頃、パニックになることがよくあったと小学校から引継ぎがあり、特別な配慮や指導していこうと話し合っていました。爽彩さんも学級委員になり、がんばろうとしていた。でも川へ落ちる2日前に爽彩さんがお母さんと電話で言い合いになり、怒って携帯を投げて、公園から出て行ってしまったことがありました。

 何かを訴えたくて、飛び出したのは自傷行為ですし、彼女の中には以前から死にたい気持ちっていうのがあったんだと思います。具体的なトラブルは分かりませんが、少なくとも子育てでは苦労してるんだなという認識でした。ただ、生徒たちが爽彩さんに対して、悪い行為をしたのも事実です。その点に関してはしっかり生徒に指導していました。

 我々は、長いスパンでないと彼女の問題は解決しないだろうから、お母さんに精神的なところをケアしなきゃない問題だって理解してもらって、医療機関などと連携しながら爽彩さんの立ち直りに繋げていけたらなと考えていました」

 凄惨なイジメ被害に遭った廣瀬爽彩さんが通っていたY中学校の当時の校長は、約2時間にわたって「文春オンライン」の取材に応じたーー。

担任の教師に4度イジメについて相談したが…

 氷点下17℃の2月13日の夜に自宅から行方不明となった旭川市内に住む当時中学2年生の廣瀬爽彩さん(14)。家族や親族、ボランティアが懸命な捜索を続けてきたが、3月23日に雪の中で変わり果てた姿で見つかった。

イジメがあった公園 ©文藝春秋

 亡くなった爽彩さんは生前、凄惨なイジメに遭っており、医者からPTSDと診断されていた。失踪する前もそのフラッシュバックに悩まされていたという。

 2019年4月、爽彩さんがY中学校へ入学した直後からイジメは始まった。上級生のA子やB男、C男が爽彩さんにわいせつ画像を送らせ、その写真をグループLINE内に拡散。その後、生徒のたまり場となっていた公園で、小学生を含む複数人で爽彩さんを囲み、自慰行為を強要することもあった。爽彩さんの母親は4月から6月の間に、担任の教師に4度「娘がイジメに遭っているかもしれない」と訴えたが、学校側はまともに取り合わなかった。

廣瀬爽彩さん

弁護士の同席を求めるとY中学校の対応が急変

 6月に爽彩さんが地元を流れるウッペツ川へ飛び込んだ事件が発端となって、警察が捜査を開始。わいせつ画像を送ることを強要した加害少年のC男は児童ポルノに係る法令違反、児童ポルノ製造の法律違反に該当したが、当時14歳未満で刑事責任を問えず、少年法に基づき、「触法少年」という扱いで厳重注意を受けた。A子、B男、D子、E子らその他のイジメグループのメンバーは強要罪にあたるかどうかが調べられたが、証拠不十分で厳重注意処分となった。事件後、爽彩さんは心身のバランスを崩し、長期入院を余儀なくされた。

 この間、Y中学校と爽彩さんの間で、イジメ問題の解決に向けて話し合いが続けられていたが、母親が話し合いの席に弁護士の同席を求めたところ、Y中学校の対応が急変した。学校側は弁護士の同席を認めず、母親側が事件後に学校が加害生徒を聴取した冊子の情報開示を求めても一切応じなかった。