昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

連載完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件

「もうこうなったら…」松永太に一家全員の殺害を決意させた“被害者の一言”とは

完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件 #67

2021/08/24

genre : ニュース, 社会

 起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。

 もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第67回)。

北九州監禁連続殺人事件をめぐる人物相関図

2002年3月、無人の緒方家の様子

 2002年3月に松永太と緒方純子が逮捕され、やがて彼らによる緒方一家への殺人の疑惑が起きていた時期、私は福岡県久留米市にある無人の緒方家を訪ねていた。

 当時の取材ノートには次のようにある。

 石垣のある広い2階建て。窓は雨戸が閉じられている。玄関前の庭には子供用のオレンジ色の小さなブランコが。玄関脇には青色と黄色の子供用の傘が立てかけられている。

 

 敷地内には久留米ナンバーのトヨタ・マークIIが放置されており、タイヤはパンクした状態。

 

 正面玄関から入って右側にある靴箱の上方の壁には黒板が。そこには子供がチョークで書いたと見られる「バイバイ」の文字。黒板の左にあるカレンダーは1997年7月のまま。靴箱の上には、子供用の赤色と黄色の長靴が2足残されている。靴箱の中には女性用のサンダルや男性用の草履、その他、靴が雑然と並ぶ。

 

 玄関に向かって左手に納屋がある。その入口付近にあるのは、資料が入った段ボール箱や古新聞の束など。少女漫画やゲームの空き箱もある。天井の梁の上にはポリ袋に入った鯉のぼり。

 

 納屋の奥には稲刈り用のコンバインがあり、運転席にはアンパンマンの人形が落ちている。そのそばには久留米ナンバーの日産・サニーが。あと、同じく久留米ナンバーの白い軽自動車、ダイハツ・クオーレも残されていた。コンバインや車のボンネットの上には埃がたまっている。

 緒方家の家族がその家を出て5年後の状況であるが、家財道具など生活の痕跡がそのまま残された様子を見る限り、決して計画的にではなく、取る物もとりあえず家を出た、“夜逃げ”との印象を抱かせるものだった。

©️iStock.com

1997年後半、心配した親族が緒方家の行方を調査

 そうなった97年の後半、一族の本家である緒方家の様子を心配した親族は、ある行動に出ていた。福岡地裁小倉支部で開かれた公判での判決文(以下、判決文)には次のようにある。

〈親族らは、緒方一家の安否を心配し、その行方を調査し始め、平成9年(97年)10月ころ、親族である警察官らに調査を依頼し、熊本県玉名市内の「玉名アパート」(仮名)に行ってもらったりしたが、手掛かりは掴めなかった。親族らは平成9年10月末ころ、孝(緒方の父=仮名、以下同)の捜索願を提出しようとしたが、そのころ、孝夫婦が××(孝の弟)宅を訪れ、捜索願のことで文句を言った。××がまだ捜索願は出していない旨伝えると、帰って行った。平成9年11月、警察官が孝宅に行ったところ、和美(緒方の母)がおり、同人と話すことができた。また、智恵子(緒方の妹)が「玉名アパート」で警察官と接触し、智恵子が携帯電話の番号を教えたため、警察官から電話がかかってきたことがあった〉