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森村誠一「うつ病を乗り越えた夫婦の証明」妻が明かす老人性うつ病、認知症との壮絶な戦い

「文藝春秋」2021年9月号より

note

 ちょっと、おかしいな。私が主人を見てそう感じるようになったのは5年ほど前のことでした。それまで、とても楽しみにしていた、混声合唱組曲「悪魔の飽食」の公演へ行くのを嫌がるようになったのです。

 この曲は、神戸市役所センター合唱団の求めに応じて主人が原詩を書き、池辺晋一郎さんが作曲してくださったもので、25年ほど前から全国各地で公演が開かれるようになりました。

森村誠一さん

 合唱の前には、池辺さんと合唱団長さん、そして主人の3人によるトークショーがあるのですが、それも好評でした。主人は、たくさんの聴衆に自分の作品を元にした合唱曲を聞いてもらえることがうれしいようで、「僕にファンクラブはないけど、あの公演がファンクラブの会合みたいなものだね」と口にしていたほどです。

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公演前日になると「行きたくない」

 それほど思い入れがあったのに、あるときから公演前日になると、「行きたくないな」と口にするようになりました。出発当日になると本気で出かけるのを嫌がるのです。何とか説得して公演する街まで一緒に行くのですが、出迎えのスタッフから「どうかなさったんですか」と心配されるほど不機嫌な顔をしていました。

 ステージに上がると、高揚感もあって不機嫌な表情は消えるのですが、次第に池辺さんや団長さんとの会話が噛み合わないことが増えていきました。聴衆のアンケートにも、そんな主人のトークに批判的な感想がちらほらと見られるようになります。

 じつは本人も、「どうもおかしい」と感じていたようです。合唱団の関係者にうつを経験した方がいて、会うたびに長々と2人で話しこんでいました。いま思うと、うつかもしれないと思って、いろいろ症状を尋ねていたのでしょう。

 その後、主人は心療内科へ通うようになりました。私がもう何年も胃カメラの検査をしてもらっている先生に、大学病院の心療内科医を紹介していただきました。その病院には認知症の専門医の先生もいたので、MRIなどの検査もしてもらいました。

 その結果、「森村さんはアルツハイマーなどの病気ではありません。年齢を重ねたことで、記憶が薄れるようになっているだけでしょう」とのことで、ひと安心しました。主人は昭和8(1933)年生まれですから、少しぐらいの物忘れは不思議ではありません。特別な薬も処方されませんでした。

 ところが、その後も物忘れはひどくなり、そのうえ「忘れる」ということに、本人がイライラを募らせるようになりました。そこで先生に相談すると、「いちばん軽い薬を使ってみましょう」ということになり、以来、その薬をいまも飲み続けています。