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連載名画レントゲン

ドラッグストアで絵を売っていたら80代で売れっ子画家に…グランマ・モーゼスの“堅実な人生”

グランマ・モーゼス『美しき世界』(1948年)

2021/09/01

 通称グランマ・モーゼス(モーゼスおばあちゃん)で知られるアンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスは、80歳代で売れっ子の画家になった物語がひとり歩きしがちですが、彼女の作品はそんな背景を知らなくても魅力あふれるもの。

 モーゼスは子供の頃から絵を描くのが好きでしたが、子育てをしながら農場で勤勉に忙しく働く半生を過ごし、絵に打ち込めるようになったのは70歳代も半ばになってから。モーゼスはドラッグストアで自作のジャムや漬物と一緒に絵も売り物として並べていました。でも売れるのはジャムや漬物だけの日々でしたが、モーゼスが78歳になる1938年、たまたまやってきた美術コレクターのL・カルドアが心惹かれて一枚あたり数ドル、現在の価値でも数10ドル相当の値ですべて買い上げたのが事の始まり。そこからカルドアが奔走し、画商O・カリア、IBM創業者T・J・ワトソンらモーゼスを応援する人々が集まり、現在へと続く名声が生まれました。

 モーゼスはいわゆる独学の画家で、平坦で素朴な画風が特徴とされています。しかし、その絵には素朴さだけではない構成力や観察に基づいた描出力があるのです。

「美しき世界」はほがらかな農村の風景で、手前に川が注ぎ込む池があり、ほとりに馬が佇んでいます。自然の中に点在する三角屋根の家を追っていくと、ゆったりした画面上部の遠景へと誘われます。幾何学的な線遠近法こそ用いていませんが、手前のものが後ろのものを隠すことで前後関係を示す「重畳遠近法」、遠景の山並みは薄く淡い色で塗り分ける「空気遠近法」、遠くのものほど小さく描く「大小遠近法」は用いられています。また、木や草の緑の色調の細やかな移ろい、光のきらめきを塗り分け、青色の部分をたどると下から上へとジグザグに進める配置の工夫も。「物の形」を目に見えたように正確に描く絵は、視覚的な再現を目的とするもの。一方、モーゼスのような画家は「物そのもの」から感じ、体験したことを全体として表現します。どちらもそれぞれの観点で素晴らしいもので、優劣があるわけではありません。

アンナ・メアリー・ロバートソン・“グランマ”・モーゼス「美しき世界」
1948年 油彩・合板 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託)
© 2021, Grandma Moses Properties Co.,NY

 モーゼスの人気が高まる時期は、アメリカが1929年からの世界恐慌から立ち直り、第二次世界大戦が勃発し参戦していくときで、古き良きアメリカが少しずつ変化していくときでもありました。モーゼスは自分が経験したことの記憶から絵を作り上げ、電柱などの現代的なものは意図的に省いています。細部を描きつつシンプルな画風だからこそ、人々は彼女の絵に思い出を重ねて見ることができます。それは描かれた思い出の美しさの土台に、モーゼスという人が一歩ずつ堅実に踏みしめてきたリアルな人生があるからこそです。

 ふと、私の祖母も60の手習いで日本画を始め、なかなかの腕前だったことが思い起こされました。モーゼスの絵を見ていると、思い出と希望がわき起こってくるようです。

生誕160年記念「グランマ・モーゼス展―素敵な100年人生」
名古屋市美術館 ~9月5日 静岡、東京、広島を巡回予定
https://www.grandma-moses.jp/

●展覧会の開催予定等は変更になる場合があります。お出掛け前にHPなどでご確認ください。

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