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連載完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件

「殺すしかない」通電を受け続け、精神に変調をきたした母親に緒方一家は…

完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件 #70

2021/09/07

genre : ニュース, 社会

 起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。

 もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第70回)。

北九州監禁連続殺人事件をめぐる人物相関図

浴室に閉じ込められ「アア」「ウウ」と奇声を上げて

 1998年1月、松永太の指示で、緒方純子の母である和美さん(仮名、以下同)は、「片野マンション」(仮名)の浴室に閉じ込められた。そうされる直前と、その後の様子が、福岡地裁小倉支部で開かれた公判での判決文(以下、判決文)にある。

〈和美は、遅くとも死亡する1週間くらい前から、食事、水、薬等を与えても頑なに拒み、耳が遠くなり、言葉を口にしなくなり、話し掛けても答えず、「アア」、「ウウ」などと低い声を出すようになった〉

 松永による通電が集中し、精神に変調をきたした和美さんは、奇行を繰り返すようになった。彼女の声が外に漏れ、不審に思われて警察に通報されることを恐れた松永は、緒方と智恵子さん(緒方の妹)、隆也さん(智恵子さんの夫)に対して、「迷惑だからどうにかしろ」と、速やかになんらかの対処をするよう命じていた。

〈緒方、隆也及び智恵子は、松永の言うとおりに、和美を殺害する2、3日前から和美を浴室内に閉じ込めた。和美は抵抗する態度を示さなかった。和美は、浴室では床に何も敷かず、上着だけを掛け物として与えられて寝ていた〉

 日本海側に面し、積雪もある福岡県北九州市での1月ということを考えると、浴室内の室温はかなり低かったことが予想される。

〈和美は、浴室へ入れられてからも、食事、水、薬を拒絶したり、「アア」、「ウウ」などと声を出したりした。松永は、緒方、隆也及び智恵子からそのような和美の様子の報告を受け、自ら浴室の和美の様子を見るなどしていたので、当時の和美の状態を十分に認識した。松永は、「和美は頭がおかしい。」などと言った〉

©️iStock.com

「お前たちがどうにかしろ」

 そして和美さんが殺害される1月20日がやってくる。以下は判決文にある、緒方の証言をもとにした、その日の状況である。

〈和美事件当日、午前又は午後の外が明るい時間に、松永と緒方、隆也及び智恵子は、台所で、和美をどうするか話し合った。そのときも、和美は浴室内におり、「アア、ウウ」などという低い声を出した〉

 その際、松永は3人に対し以下の発言をしていた。

「和美をここには置いておけないから、どこかに連れて行け。お前たちがどうにかしろ。誰かに通報されて警察などが来たら、俺は迷惑だ」

「通報されて困るのは、俺じゃなくてお前たちなんだから、お前たちがどうにかしろ」

「このまま放置しておいて、どんどん悪くなっていって、手がつけられなくなったらどうするんだ」

「孝(緒方の父)のときも、お前たちの頼みで知恵と金を出してやったけれど、実際にやったのはお前たちなんだから、俺には関係ないんだけれど、困るのはお前たちだろう」