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​感染症の恐怖と世界が向き合う100年に一度の異常事態。追い求めたい医療とは?

文春オンライン×CREA WEB特別企画⑥「ソーシャルビジネス×ジェンダー平等がもたらす地球の未来」

2021/10/01

 JICAの協力のもと、CREA × 文春オンラインの連合企画として展開している特集「ソーシャルビジネス×ジェンダー平等がもたらす地球の未来」。
 

 最終回となる今回ご登場くださるのは、『いのちの停車場』などの人気作品で知られる医師・小説家の南 杏子さんと、JICAで途上国の保健分野の事業についている小野智子さん。専門は違えど、命に向き合うという志を同じくするお二人の女性に、医療や保健の在り方について語り合っていただきました。

JICA人間開発部で保健事業に携わる小野智子さん(左)と、医師・小説家として活躍する南 杏子さん(右)。
JICA人間開発部で保健事業に携わる小野智子さん(左)と、医師・小説家として活躍する南 杏子さん(右)。

聞く力を高めることが、文化や立場を超えた理解を生み出す

――南さんはもともと編集者として仕事をされていて、結婚・出産後に医学の道を志されたそうですね。

南 杏子さん(以下) そうなんです。出版社で育児雑誌の編集を担当していまして、赤ちゃんの医療記事などを書いていました。実は幼い頃から身体のことに興味があって、人体図鑑だけはボロボロになるまで読んでいたような子どもだったんですけど、医師になるということは考えていなかったんですね。

 ところが、出産後、夫が会社からの派遣でイギリスに留学となり、私も1年間育児休暇をとって向こうに住んだのですが、そこで通ったアロマテラピー専門学校で受けた解剖生理学の授業が、ものすごく面白かったんですね。

――人体図鑑好きの心が蘇ったんですね。

 はい、初めてそういうことを勉強して、すごく興味をひかれました。それと同時に、イギリスでは30歳、40歳でも新しい道に飛び込んでいらっしゃる方たちがたくさんいるのを見て、ちょっとカルチャーショックを受けて。

 そんな折に、日本から取り寄せていた新聞で、医学部学士編入という、一度別の学部を卒業した人が医学部で勉強し直せる大学がある、という記事を帰国直前に見つけたんです。これなら私もチャレンジできるかもしれないと、帰国した年の秋に受験して、なんとか翌年春から医学部に行くことができました。夫も背中を押してくれましたし。

1992年、南さん(右端)が通っていたシャーリープライス・アロマテラピー専門学校の教師やクラスメイトとの思い出の写真。
1992年、南さん(右端)が通っていたシャーリープライス・アロマテラピー専門学校の教師やクラスメイトとの思い出の写真。

――とはいえ、いざ学士入学しても、それから先の医学部の勉強は非常に大変だったのではありませんか?

 そうですね、一回り以上年下の学生さんたちと机を並べ、一緒に覚えることがものすごくたくさんあって……。本当に大変だったんですけれども、ただ、私はそれが楽しくて楽しくてしょうがなくて、たぶん人生で今が一番楽しいなって毎日思いながら大学に通っていました(笑)。

小野智子さん(以下小野) お話をお聞きしていると、とても共感する部分がありますね。実は私も医学部への学士入学を考えたことがありました。

 私は17才の時に父の転勤でアメリカに移り、そのままアメリカの大学で化学と国際関係学を勉強していました。アメリカの大学院で医学部に行こうかと悩んだ時期にいろいろ調べたところ、日本では4校くらい医学部に学士入学できる大学があると知り、もしかしたら卒業後は日本に戻るのもありかなって。

――なぜ医療を学ぼうとお考えになったのですか?

小野 思いもかけず日本とアメリカという2つのホームを持つことになって、どういうスキルがあれば国境に縛られずに生きれるのか、世界で求められる技能って何だろうって考えた時、医療という分野に興味を持ったんですね。

 いくつもの国で医師免許を取得していくのはすごく大変ですし、日本に戻るか、アメリカの大学院に行くか、とても悩んでいる時に、公衆衛生という分野を知りました。

 臨床ではないけれども、医療を支える分野であり、私が実際に勉強してきた科学と社会の仕組みをつくる政策の両方が重なり合っている部分があったので、これであれば私が目指すところと合致するかも、と。それで、公衆衛生を選んで大学院に進みました。

2003年ジュネーブにて、小野さん(中央)を囲んでWHOの同僚と。
2003年ジュネーブにて、小野さん(中央)を囲んでWHOの同僚と。

 そこから、世界で求められる技能という点でJICAにつながっていくんですね。

小野 幼い頃から国連のような国際機関の仕事に憧れていたのですが、大学院時代にWHO(世界保健機関)本部でのインターンの機会があって、そのまま卒業後に就職できたので、WHOで途上国での国際貢献という仕事に携わることができました。

 途上国において医療保健の仕組みを一緒に作っていきたいと考え、その後にまた大学院に入って医療経済という違う分野を学び直したり、再び国際機関で働いたりするうち、より現場に近い形で働きたいと思うようになったんですね。

 それでJICAであれば現場と政策という両方の仕事ができると考え、20年弱のギャップを経て日本に戻り、JICAに入りました。

――具体的にはどういうお仕事を担当されているんですか?

小野 途上国に直接医療を提供するというより、途上国の国として能力を上げ、国の医療や保健の仕組みを良くしていくための協力を行うことが我々JICAのマンデート(任務)です。自治体の行政官や病院で働く人たち、検査所の人たちと一緒に課題の原因を探り、少しずつ仕組みを改善し、人々が質の高い保健医療へアクセスできるようにすることを目指しています。

 お医者さんが働く現場とはまた違いますが、何回も途上国に足を運んで現場の問題を自分の目で見て、何ができて何ができないのか、その原因は何なのかを話し合い、一緒に良くしていくというプロセスが必要です。

 今回の新型コロナウイルスの感染拡大は、途上国にも非常に深刻な事態をもたらしていますよね。

小野 基本的なインフラがないことの影響を実感しましたね。国にもよりますが、水・電気が満足にでないっていう地域がまだまだ多く、そこにお医者さんが働いてくれるか、的確な治療が行えるかというと難しい。

 知識を提供して予防を徹底させるとか、高度な治療ができなくても早く診断して病院に搬送するとか、それぞれの現場において今ベストなことは何かを、常に考えている状態です。

――社会通念や文化、あるいは宗教の違いなどで、なかなか他国の人間が指導できるものではないかと思いますが。

小野 そうですね、まず指導だとは思わないことがすごく大事だと思います。その国のことを一番知っているのは、その国の人たちですから。我々はあくまでも外部から来た人間として、新しい知識や見方を提供し、話し合いながら「こういう考えもあるんじゃない?」ってちょっとサポートする。

 文化の違いは当然ありますから、それを理解した上で進めていかなければなりませんし、そのために我々は聞く力をちゃんと身につけなきゃいけないと考えています。

 我々医師とJICAとでは活動する現場は異なりますが、共通するところもたくさんあると思います。私がやっているのは終末期の医療なので、必ずしも命を救うことだけが目標ではないんですね。

 それよりも、快適性だったり、苦痛の軽減だったり、あるいは尊厳だったり、そういったものを優先したいという患者さんご本人やご家族の思いがある場合も少なくない。そのあたりのところをしっかり聞き取り、お気持ちを十分に汲んでいかないと、一方的に「あなたもほら、1分1秒長く生きたいでしょう?」と医療を押し付けてしまうことになる。そういう反省もあって、小野さんのお話と同じことだなと、伺っていて思いました。

小野 知識だけで患者さんの気持ちに近づけるものではないですよね。

 本当にそうですね。教科書とか授業とかで勉強してきたことはほんの一部であって、目の前の患者さんのことをちゃんと見ていかないと、医療の押し付けになってしまうってことが、だんだんに分かってくるんですね。

 医学部を出たての医師は「こういうふうに治療すればいい」という考えにとらわれがちです。しかし、お薬をいっぱい出したのに飲んでもらえなかったとか、すごく頑張って手術をしたのに納得してもらえないとか、努力が裏目に出てしまうこともある。そこには、相手の立場に立ち、相手の考えをよく聞いて話し合ってこなかったという部分が、もしかしたらあるのかもしれません。

小野 あぁ、分かります。

 JICAの取り組みは、さらにそうですよね。例えば日本だって、コロナのワクチンをみんなに打ってもらうのにすごく苦労しているのに、全く違う文化を持つ国の人たちにそれをどうやって理解してもらうのか、本当に大変だろうなって。

 一つひとつの事業をちゃんと理解してもらうためのていねいな作業が本当に大事なんだなと、お話を聞いて改めて感じました。

2012年ハーバード公衆衛生大学院博士課程卒業時、同級生と喜びを分かち合う小野さん(左下)
2012年ハーバード公衆衛生大学院博士課程卒業時、同級生と喜びを分かち合う小野さん(左下)

コロナ禍にあっても、命のためにせいいっぱいベストを尽くす

スーダンの地方出張、カッサラにて。スーダン保健省の行政官と。
スーダンの地方出張、カッサラにて。スーダン保健省の行政官と。

小野 ワクチンでいうと、途上国ではやはり手に入るワクチンが極端に限られているんですよ。なので、都市部の人は接種できても、地方の住民はワクチンへのアクセスが難しい。

 そもそも地方にはワクチンを打てる医療従事者が足りていないし、電気も不安定なのでコールドチェーンという低温保管・輸送は容易ではない。それでも人は動くから、感染は拡大していきます。誇張ではなく、感染症の恐怖を世界中の人に示した100年に1回あるかないかという事態を、今我々は経験していると思います。

 本当にそうですね。私が勤務している病院は特に終末期の患者さんが多くて、平均年齢が90歳ぐらいなんです。そういう弱い人たちが一人でもコロナに感染すれば大変なことになるので、職員も感染予防を徹底し、さらにご家族の面会もお断りしたのですが、これは本当に異例なことなんですね。つまり、最後の面会チャンスを奪うかもしれないわけで。

小野 そういうことも起こりますよね。

 通常であれば、患者さんが亡くなる前にご家族に来ていただくよう、私たちはすごく配慮しているんです。とにかく最後に手を握ってもらって大往生を迎えていただこうと。

 もちろん今回は非常時ですし、政府が主体となって感染予防策の広報活動をしてくれたこともあり、ご家族もちゃんと理解してくださいましたが、これまでだったら絶対にあり得ない状況が続いています。

内科医として勤務する高齢者病院での診察風景(撮影=樽矢敏広)。
内科医として勤務する高齢者病院での診察風景(撮影=樽矢敏広)。

――病床のひっ迫などの問題もありますし、途上国にはワクチンが行き渡らないという現状もあります。そういったことを考えると、言葉は良くありせんが、命には優先順位というものがあるのだろうかと考えてしまいます。

 日本では高齢者からワクチンを打つという方針で接種が進められましたが、それは高齢者が感染するとすぐに重症化してしまって病院のベッドがどんどんふさがってしまい、もし若い人に何か起こった時に病院に入れなくなってしまうから、という点が考慮されたと思うんです。

 つまり、高齢者に敬意を表して優先したということではなく、回り回って自分たちが守られるために先に接種を受けていただいた、と私たちは感じています。

小野 基本的に感染症である以上、一番リスクの高い人から打っていくしかないですよね。一方で国によってはロックダウンという対策をとっていますが、ロックダウンすれば感染のスピードは当然下がるものの、その代わり経済が落ちていく。そこは非常に難しいバランスです。

 先進国はともかく、その日暮らしの人が大勢暮らす途上国において、ロックダウンのインパクトがどれほどのものかというと、もう全然レベルが違います。餓えて死ぬのか、コロナで死ぬのか、ということになってしまう。命の重さの格差というよりも、置かれた環境、できることの格差は常に問題視していますし、それはもう間違いなく現実としてあります。

 それはコロナに限ったことではありませんよね。

小野 はい。たとえば出産時、家で出産することが普通である途上国では緊急時にちゃんとした医療にアクセス出来るかが、赤ちゃん・妊婦さんの生き死にに直結します。たとえ妊婦さんが出血したとしても、地方であればあるほど、病院に行く道路はありますか、運搬の手段はありますかっていうところで、救える命と救えない命が出てきてしまう。

 それが途上国の現実であり、コロナに限らず我々がずっと抱えている問題です。その中で、今あるリソースでできることは何かを考え、それを粘り強く積み重ねて、一つひとつの命を救っていく仕組みを作るしかないと考えています。

 医療を受ける機会の平等性が損なわれることによって、命の重さの格差が生じているということでしょうか。非常に難しい問題ですね。

小野 どんな人でも大事な命であることは全く変わらないわけじゃないですか。その命を救えるかどうか、国によって医療の格差はあるかもしれないけれど、命を救うために社会としてしっかりベストを尽くすことは、それぞれの国でできるんじゃないかなって思うんですよね。

 日本でも途上国でも、自分が亡くなる時、家族が亡くなる時、ちゃんとケアをされた、その国にある医療の中でベストを尽くして送り出してもらったって思えるかどうか。まずはそういうところまで、今あるリソースの中でベストを尽くすことが大事だと思っています。

差別された側の気持ちを忘れないことが、自分の基礎となっている

――今回はもう一つ、ジェンダーというテーマについても、お二人にお聞きしたいと思っています。南先生の作品『ブラックウェルに憧れて』には、女性医師が偏見や差別を受ける描写も見られますね。

 医療は本当に古い世界で遅れているとは思いますけれども、出版社にいた頃も私は男女の不平等をずっと感じていましたし、医学部に入った時も、周りの人からすごく言われましたね。

「子どもがいるのにまだ勉強するの?」とか、「よく旦那さんが許してくれたね」とか。もっと遡れば、高校から大学に進む時も、「どうせ結婚するだけなんだから短大でいいでしょ」って言われていましたし。

小野 そういう時代だったんですね。

1992年、南さんはイギリスで出産。0歳の娘と夫とともに、ストーンヘンジの前で。
1992年、南さんはイギリスで出産。0歳の娘と夫とともに、ストーンヘンジの前で。

南 それと、私は18歳から21歳まで祖父の介護をしていたんですけれども、これも、「女だからやるのが当たり前」と思われていました。それが社会通念だったんですよね。

 だから、「祖父のことをちゃんと介護できなくて申し訳なかった」とか、医学部に通っている頃は、「子どもがいるのに勉強させてもらっている」、「子どもに寂しい思いをさせているのは私のせい」だというふうに、すごく自分を責めたり、社会的に決められている役割に自分から当てはまろうとしたりという部分もありました。

――そういう「旦那さんは大丈夫?」「お子さんがかわいそう」といった言葉は、女性から言われることもありますよね。男性だけでなく、女性の中にもそういう固定観念があるからこそ、社会が変わっていかないという要因があるのかもしれません。

 本当にそうですね。ただそれは、女性に限ったことじゃないと思うんですね。民族や宗教の問題だったり、性の多様化の問題だったり、差別されている人は、そういう差別的な価値観の中でいかに息がしやすいように生きていくかを、常に探していなきゃいけないんですよ。

 そうやって生きていく人たちの思いが、自分の経験を通して私も理解できるようになった。そこは自分の中での大切な基礎の一つとなっていますし、これからも小説の中で取り上げていきたいと思っています。決して良い経験だったとは言いたくないですけれど。

小野 私自身もアメリカに渡って突然マイノリティーになったことを実感したんですよ。アメリカにも女性差別はあるし、人種差別も山のようにあるし。ただ、その歴史に向き合って活発な議論がされて、社会が変わってきた事実もある。その弱い立場になった時の自分をちゃんと覚えていることがとても大事だと思っています。

 たとえ強い立場になったとしても、自分が弱い立場、差別を受ける側だった時の気持ちってどうだっただろう、いろいろな価値観の中で自分の置かれている立場はどんなものだろうって、常に考えながら生きているところがあります。

スーダン事務所の現地職員の家に同僚とともにご招待(中央右が小野さん)。
スーダン事務所の現地職員の家に同僚とともにご招待(中央右が小野さん)。

――ジェンダーの面からいうと、途上国ではやはり女性が活躍しにくい部分がありますか?

小野 途上国の場合、教育が受けられる人間と受けられない人間の格差はものすごく大きいのですが、女性だからといって活躍できていないかというとそうでないところもあって、私のお付き合いしている国の方が日本より進んでいるかもって思うことがありますね。

 会議でも、向こうのチームは女性と男性が半々ぐらい、こちらは男性ばかりということが結構あるかもしれません。国際協力の分野、特に保健の分野は女性がものすごく多くて、私自身も上司が女性であることに全く違和感がない中で暮らしてきたので、日本に帰ってきて愕然としましたね。やはり日本の年功序列の仕組みって、女性にとっても不利じゃないですか。

 本当にそうですね。

小野 自分が住んでいる国がこの状況だっていうのは、ちょっときついなって思うことがありますね。ただ、昔に比べてJICAの中でも育休をとられる男性もとても増えていますし、そういう意味では前進していると感じます。

 若い人たちの感覚を見ても、男性だからこう、女性だからこうっていう考え方は薄まってきているのかなと。一方で社会を見ると、キャリアの仕組みとしてはあんまり変わっていないので、若い世代の感覚と社会の仕組みがまだ合致していない状態かな、と。

 私は男女雇用機会均等法施行の前に就職期を迎えて、入社試験さえ受けさせてもらえなかったり、門前払いされたりっていう経験をしましたので、そういうところは大きく変わったと感じています。それと2000年に介護保険制度ができましたよね。

 それまでは、「高齢者の介護はお嫁さんに任せとけばいい」っていう考えだったので、ようやく社会が動いてきたなって思いました。女性の医師、男性の看護師も増えてきました。

小野 男性が悪いとか女性が悪いとかではなく、社会の仕組みや通念の問題をちゃんと提起して、全員が良くなる環境をどう作っていくかを考えるべきだと思います。

 そのためには、女性も自分がおかしいと思うことはしっかり言っていくべきですよね。SNSなどの限られた場所だけじゃなくて、言える場所はいくらでもあるわけだし、仲間もちゃんといるはずですから。

――最後になりますが、お二人の今後の目標をぜひお聞かせください。

 私は終末期医療に携わっていますが、人って生まれてから亡くなるまで、全部で一つの人生なんですよ。必ずみんな亡くなるんですから。だから、赤ちゃんに対してふさわしい医療があるように、亡くなる前にもふさわしい医療があるはずだって、私は今感じているんですね。

 終末期を迎えた患者さんに対して、家族や医療者がどうしたいかではなく、患者さんご本人だったら、最期をどういうふうに過ごしたいと思うだろうか、それを大事にしたい。

 その人なりの生き切り方を支えること、それこそが新しい医療だと思っていますし、『サイレント・ブレス』や『いのちの停車場』を書いたことで、そういう終末期医療のあり方を多くの人に知っていただけたことは、本当によかったなって思いますね。

小野 医療はいわゆる治癒を目的とするキュアと、より精神的・社会的な意味合いを含めたケアの両方があってこそですが、終末期は特にケアの部分がとても大きいですよね。医療経済の面から見ると評価がしにくい部分ですが、やっぱり家族に、また社会にケアされたという安心感の中で人生を終えてもらうのが医療の役割ですから、その部分は切り捨てたくない。

 リソースの限られた途上国であっても、最後の1週間、2週間、ちゃんとケアされたって感じてもらえる環境が担保されるような仕組みを作っていきたいと思っています。

――もちろん小野さんの場合は、終末期だけではなく、出産時からすべて考えなければいけないお仕事だと思いますが。

小野 そうですね。途上国の医療ってまずは母子保健から入ることが多いので、メインとなる対象者はやはりお母さん、女性となります。でも、医療へのアクセスは、本人だけではなく家族で決断することなんですよね。

 お金を使って、2時間、3時間かけてタクシーに乗って医療を受けていいかどうか。その決断を誰がしているのかっていうのが、すごく大事な視点になってくる。だから私たちは女性だけではなく、家族やコミュニティー全体を変えていかないといけないのですが、はっきり言えば外国人が来て変わるというものじゃないんですよ。

――なるほど。

小野 なので、まずは村の中で頼りにされている人たちに働きかけていく。宗教上のリーダーや村長さん、あるいは看護師さんや保健師さんといった、コミュニティーの中で現場にいる人たちを巻き込み、知識のメッセンジャーとなってもらって、コミュニティーを良くするための話し合いをしていく。制度などの整備とともになすべきエンパワーメントだと思っています。

 医療へのアクセスって、経済力にもよりますよね。女性も男性も同じ経済力があれば、病院を利用するかどうか、夫の意思にかかわらず妻が自分で病院に行くことを決断できるじゃないですか。

小野 経済力は大事ですね、確実に。男性でも女性でも病気になる時はなりますし、どの病気であっても苦しいですし。ただ、高度な治療方法になれば医療費も高額になり、経済力のある人しか受けられなくなってしまうわけです。

 経済力の有無や、病気の種類によって、医療のアクセスがかわることをなるべく減らしたいと思っているのですが、そのためには、医療というよりも、医療の背景にあるもののほうが、途上国では課題になってくることが多いです。

 確かにそうでしょうね。さっき小野さんがキュアとケアというお話をされましたが、私が得意としているのは多分、「ここに困っている人がいますよ」って手を挙げることなんですね。「こんなところで追い詰められている人がいますよ」「苦しんでいる人がいますよ」と。そういったことを小説にすることによって、「あ、そうなんだ」って気づいてくれる人が増えると思うんです。

 さらに、私では解決できないことを解決できる力のある人が読んでくださって、実行に移していただけるかもしれない。その輪が広がれば、私も一つの歯車として役立てるような気がしていて。だから、これからも医療の問題を中心に小説を書いていきたいと思っています。

南 杏子(みなみ きょうこ)
小説家、内科医。日本女子大学卒業。出版社勤務を経て、東海大学医学部に学士入学。卒業後、慶応大学病院などに勤務。また、スイスへ転居後、スイス医療福祉互助会顧問医などを務める。帰国後、高齢者病院に内科医として勤務。2016年、終末期医療を題材にした『サイレント・ブレス』で小説家デビュー。主な著書に『ディア・ペイシェント』『いのちの停車場』など。


小野智子(おの ともこ)
新潟県出身。オハイオ州立大学にて学士(化学・国際学)および公衆衛生大学院にて修士(疫学)修了。ハーバード公衆衛生大学院にて博士号取得(保健システム)。WHO(世界保健機関)、世界銀行、経済協力開発機構等を経て2014年にJICA入構。スーダン事務所駐在等を経て、現在、人間開発部保健第一グループ保健第二チームでアフリカ40カ国の保健事業を所掌。保健分野における医療政策分析・保健統計が専門。

独立行政法人国際協力機構(JICA)
https://www.jica.go.jp/

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写真=深野未季