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三森大貴選手の“クセがすごい”兄に聞いた、弟がホークスに欠かせない存在となるまで

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/09/20
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 苦しい戦いが続くホークスで、もがきながらも道を切り開こうと必死に戦う若鷹がいる。プロ5年目の三森大貴選手だ。

 今季ここまで58試合に出場し、キャリアハイを大幅に更新中。6月に1軍に昇格すると、月間打率は3割超えをマークするなど奮闘。チームに欠かせないピースとなった。6月10日のカープ戦では1試合4安打の固め打ち。打線が沈黙する中、一人気を吐いた。

 最近では、何と言っても今月10日のファイターズ戦。9回に起死回生の同点打を放ち、チームを救ってくれた。ベンチもファンも大ガッツポーズだったが、三森選手は微かに笑みを浮かべる程度。派手に喜ぶところはほとんど見たことがない。入団時から保ち続けてきた“ポーカーフェイス”は、1軍で活躍するようになっても変わらないのだ。

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三森大貴

兄が語る少年時代の三森大貴

「あの歳(22)にしては落ち着いていますよね。落ち着きすぎて、アイツつまんないじゃないですか~」

 そう言って笑うのは三森選手の兄・一輝さん(25)。ファンの中にはご存知の方もいるのではないだろうか。ツイッターで【スポーツ一家三森家】という三森大貴応援アカウントを運用しているのがこの一輝さん。ツイートからも非常にエネルギッシュで社交的でポジティブな印象を受ける。実は今回、その一輝さんに電話インタビューをさせて頂いた。ツイッターの印象そのままに親近感の湧く面白い方だった。声は三森選手とそっくりながら、電話口からでもキャラクターが全然違うことがわかり、ちょっと不思議な感覚に陥った(笑)。

 三森選手は兄、姉、妹の4人兄弟。特に、兄・一輝さんとはいつも一緒に外で遊んでいたそうだ。一輝さんの友人にも可愛がられていた大貴少年だったが、3学年違うのに運動能力や走力は当時からお兄さんたちにも引けを取らなかったという。

 当時所属していた少年野球チームでは、大貴少年が3年生の時に6年生の試合に出て、優勝に貢献していたそうだ。一輝さんも運動神経は良かったというも、「マサは別格。他の人とは違う能力を持っている。野球じゃなかったとしても、サッカーでもバレーでもプロになっていたと思う。それくらい何でも出来る子だった」と身内ながらも弟に一目置いていた。だから、今の活躍にもそんなには驚いていないという。「試合に出し続けてもらえれば、必ず結果を出せる」、「マサが成功しなかったらプロ野球ってどんな世界なんだよ」そう思えるほど、兄は弟の力を信じて疑わず、ひたすら応援してきたのだ。

小学校時代の三森選手(左)と兄・一輝さん(右から2番目)とお友達 ©一輝さん

 三森選手を語る上で、やはり気になるのが埼玉県出身ながら青森山田高校に進学したことだ。しかも、中学から青森山田で学んでいる。そのことについて兄・一輝さんに尋ねてみると、「それ話しちゃっていいですか?(笑)」と得意げに当時のことを振り返ってくれた。

 事の発端は、三森家の机の上に置いてあった青森山田高校のパンフレットだったという。そもそもそれは、一輝さんが中3の時に進学先の候補として母が取り寄せたものだった。夏は1日中テレビで甲子園を見ていた三森家にとって、当時毎年のように出場していた青森山田高校は「甲子園と言えば青森山田」というくらい強く印象付けられていたという。しかし、一輝さんはバリバリの強豪校で野球をするつもりはなかったようで、母の提案を却下。すると、そのパンフレットを見た小6の大貴少年が「俺、行きたい」と言ったのだそうだ。

 青森山田学園には中学部もあり、更に中学校には珍しく硬式野球部があったことも大貴少年の心を動かしたという。その1ヶ月後くらいに、大貴少年は本当に青森山田中学への進学を決めたそうだ。小6で親元を離れて野球の夢を追う決断、相当な覚悟があったに違いない。地元で敵なしだった大貴少年は、厳しい環境に自ら飛び込んでいったのだった。

 そして、2016年ドラフト4位でホークスに入団し、晴れて夢のプロ野球選手になった。これまた選手層が厚いホークスで激しい競争が待ち構えていたのだが、それを勝ち抜いて、今1軍の舞台に立っている。

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