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連載昭和事件史

連続少女誘拐犯の手帳に書きつけられた「悲願千人斬」…“少女の敵”が生まれた理由

連続少女誘拐犯の手帳に書きつけられた「悲願千人斬」…“少女の敵”が生まれた理由

復員服と「戦災孤児」が普通だった時代の「少女誘拐マニア」の住友令嬢誘拐事件 #2

2021/09/12

「神奈川県警察史 下巻」によれば、住友令嬢誘拐で足どり捜査に当たった刑事たちは料理屋、飲食店、宿屋を調べて回り、2日目の9月19日夕方、一組が片瀬の旅館に入って宿帳をめくった。その中には「京都府久世郡御板村字高島田(現・久御山町)、引揚者、本田金次郎、二十二歳、九月十六日午後五時止宿、翌十七日午前九時出発、丈五尺二寸位、瘦型、カーキ色軍服上下、戦闘帽、軍靴」と書かれていた。まさにこれまでの犯人像そのものだった。

 刑事はおかみから「非常におとなしい方で妹がいる」と聞いて確信した。その時点で、手口捜査からも有力な情報が上がってきていた。「昭和18(1943)年8月1日、戦時強制猥褻(わいせつ)罪で東京・調布署に検挙され、同19(1944)年4月、懲役刑に処された東京都京橋区月島新佃島2丁目15番地、樋口芳男22歳が照会のあった手口に類似している」。

 さらに、鎌倉署捜査本部を訪れた警視庁警部から、清水家次女誘拐の容疑者が「本田金次郎」を名乗っていたことを聞き、手口捜査から出てきた樋口の写真を目撃者に見せた。「ここに捜査本部はこの誘拐事件の犯人を樋口芳男と断定した。時に9月19日午後6時であった」。(同書)

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 9月22日付で各紙は一斉に容疑者の実名を報じた。2面トップで「二少女事件の犯人判明 誘拐では常習犯 直ちに全国に指名手配」の見出しに、「脱走囚だが優形 海外引揚者を装ふ(う)」の小見出しを付けた朝日を見よう。

【鎌倉発】住友家長女の誘拐事件は手掛かりの不足から犯人に対する見込みも極めて困難とみられていたが、さきに行方不明となっていた東京都淀橋区下落合2ノ761、帝国工業専務・清水厚氏の次女(13)の有力な申し立てによって捜査は20日から急展開し、住友家長女を奪った犯人は清水家次女事件と同一の東京都京橋区新佃島西町2ノ15(居所不定)前科1犯、樋口芳男(22)であることが確定的となり、捜査当局は直ちに全国に同人の指名手配をした。

 

 住友家の令嬢が誘拐されて既に5日。当の本人の所在はもとより、安否も分からぬとき、捜査陣で例を見ぬ誘拐犯人の公表を行い、犯人逮捕について一般の積極的協力を求めているが、住友家長女誘拐犯人は、目白の清水家次女誘拐の場合と犯行の手口、人相など全く一致するので、警視庁当局でも同一犯とみて……。

「樋口芳男の犯行と判明」を伝える朝日

「犯罪を重ねた恐るべき少女誘拐常習犯、性的異常者で…」

 記事は彼の前歴に入っていく。

 彼は昭和19年8月1日、鉄道機関手助手をしていたとき、世田谷区田園調布2ノ716、当時女子学習院初等科5年生(当時12)を「お父さんに渡す大切なお金を渡すから一緒に来てください」とて誘い出し、電車で品川駅に行き、同駅構内の客車に連れ込んで姿をくらました。東京、湘南方面でも7件の同様犯罪を重ねた恐るべき少女誘拐常習犯、性的異常者で、2日後の3日、張り込み中の玉川署員に検挙、3年の刑を言い渡され、20(1945)年7月31日、八王子少年刑務所から作業中脱走したものである。幼時、父に死別し、小学校卒業後、2年間、東大崎の義兄のところで給仕奉公ののち、鉄道機関助手の経歴を持っている。

 

 全く復員軍人ふうで、本名のほかに岩間芳男、本田金次郎、阿部文平、本多敦麿、佐藤某など、5つの変名を使い分けている。本籍・樺太豊原市、本田金次郎名義の偽の引揚者証明書を持っており、いつも海外引き揚げ者を装って同情を買っては他人の家を泊まり歩いているらしい。

「昭和19年」は「昭和18年」の誤り。「女子学習院初等科5年生」は松平子爵の令嬢だった。朝日の記事にはほかに、「おとなしい内気な性格なので人づきあいもよかった」という樋口の姉の証言もある。