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「余命1カ月の小学生の娘にプリンを食べさせたい」医師が危険を承知で母の願いを許したワケ

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「余命1カ月の小学生の娘にプリンを食べさせたい」医師が危険を承知で母の願いを許したワケ

大切な人の死期が近づいたとき、周りの人はどういう行動を取るべきだろうか。大阪大学大学院の村上靖彦教授は「治療も大事だが、残された時間でその人の好みや望みを話し合うことが重要だ。それらを尊重することで、奇跡的な延命につながることもある」という――。

※本稿は、村上靖彦『ケアとは何か』(中公新書)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/ake1150sb ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ake1150sb

寝たきりになってもオロナミンCを飲んでいた祖母

終末期医療に限らず、〈小さな願い〉は人生のかけがえない価値である。日々の〈小さな願い〉の積み重ねが、その人自身を形作る。そこでは、医療の規範に縛られない柔軟性が求められる。以下でいくつか具体例を見ていきたい。

願い事は、しばしば体の快適さや五感に関わる。たとえば「これを食べたい」という望みは誰しも基本的な欲求として持っているもので、それだけに大事な望みである。私の祖母は亡くなる直前、寝たきりになってからも甘いものを好んで食べていた。固形物を口から食べられなくなっても、オロナミンCをいつも飲んでいた。もともと食べることが好きで、私も子どものころはいろいろなお店に連れていってもらったものだ。そうした飲食へのこだわりは、最後まで変わらなかった。

持ち込み食があふれる病室で「食べれるっていいなー」

次の語りは、HCU(高度治療室)に勤める若手看護師が、初めて看取りを経験した場面を語ったものである。私のゼミ生だった岡部まやさんの修士論文から引用する(「急性期領域の若手看護師がもつ死生観に関する現象学的考察」、〔…〕は中略を表す)。

【Bさん】その次の日に一般病棟いって亡くなったんですけど、〔…〕なんか〔心臓のお薬〕もうめちゃくちゃな量いってて。〔…〕で、なんかもう先生も治す治す、みたいな感じではなくって。ある程度ひろーい感じで見れる人だったので。「本人がどうしたいかだよねあとは」っていう感じだったので、「どうしたいですか?」って。