起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。
もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第72回)。
智恵子さん殺害を中止しようと…
松永太の意向を酌み、次に緒方純子らが命を奪うことになったのは、緒方の妹・智恵子さん(仮名、以下同)だった。
「起きるまでに終わっておけよ」
1998年2月10日の未明、その言葉を口にして、松永は緒方と智恵子さんの夫・隆也さん、さらに隆也さん夫婦の長女・花奈ちゃんを洗面所に残して、和室に戻っていく。
緒方は一旦洗面所を出ると、玄関から母の和美さんを絞殺したときに用いた、通電用の電気コードを持って戻ってきた。
福岡地裁小倉支部で開かれた公判での、検察側による論告書(以下、論告書)では、それからのやり取りが明かされている。
〈その後も、隆也は、何とかして智恵子の殺害を中止したいと考えたらしく、いくつかの提案をした後で、「松永さんに、もう一度尋ねてみたらどうか。」とも言った。これを聞いて、緒方は、常に責任逃れをしようとする松永の性格を利用すれば、智恵子を今すぐ殺すことだけは回避できるかもしれないと考えた。しかし、そのためには、おそらく和室で眠っているはずの松永を起こさねばならず、松永を怒らせて通電を受ける羽目にもなりかねないと考え、すぐに隆也の提案に従うこともできずにいた。
しばらく悩んだ末、緒方は、何とか智恵子の殺害を避けたいという気持ちから、意を決して洗面所のドアを開けようとした。しかし、以前からドアノブの調子が悪かったこのドアは、このとき、どうしても開かなかった〉
開かなかった洗面所のドア
同公判での判決文(以下、判決文)には、ドアが開かなかったときの緒方の心境について、〈緒方は天に見放されたような気持ちになった〉とある。以下、判決文である。
〈緒方は、松永の指示が智恵子を直ちに殺せということにある以上、それを実行しなければ通電等の制裁を受けるだろうと思った。また、緒方らが洗面所に閉じ込められてからそのころまでに既に2、3時間は経っていたので、松永がもうすぐ起きて来るだろうと思った。また、智恵子が一時的に殺害を免れても、和美のように、いずれは緒方一家の手で殺害しなければならなくなるし、智恵子が生きていてもひどい虐待を受けて苦しむだけだろうと思った。そこで、緒方は、智恵子の殺害を実行しようと決意し、隆也及び花奈に対しても、「松永が起きて来るから、終わっておかないとひどい目に遭うし、智恵子も生きていたってつらいだけだし。」などと言い、智恵子の殺害を実行することを促した。すると、隆也は、「それだったら自分がやります。」と答えた。それに対し、緒方は何も言えず、花奈も何も言わなかった。このようにして、緒方らは、平成10年(98年)2月10日午前3時ころ、智恵子の殺害を実行する決意をした〉