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「私はジュリーを残します。自分の子だから」 ジャニーズ事務所会議室内で起きた、メリーさんの“5時間説教”と“公開粛清”

 “ジャニーズの女帝”こと、メリー喜多川氏が8月14日、93年の人生に幕を降ろした。本名「メリー・泰子・喜多川・藤島」。最終的な肩書きはジャニーズ事務所の「名誉会長」だった。実弟のジャニー喜多川元社長(享年87)が他界して2年。これで同社は一代で会社を「日本最大の芸能事務所」に成長させた創業者姉弟を失った。

ジャニー氏(左)とメリー氏(右)

「瞬間湯沸かし器型の感情の激しい人だが、実に女である」

 メリー氏の夫であった作家の藤島泰輔氏(故人)は妻を評してこう語ったというが、言い得て妙というべきだろう。彼女はまさに“怒れる女帝”だった。2015年当時は「週刊文春」のデスクだった筆者(現「文藝春秋」デスク・渡邉庸三)が、氏の謦咳に接したのは3度きりだが、対面時間は合計約10時間に及ぶ。その間メリー氏は誇張でなくずっと怒り続けていた。記者側の発言は計10分にも満たなかったのではないか。

ジャニーズのタブーに切り込んだ

 なぜ我々はメリー氏の逆鱗に触れたのか。それは我々が取材の中で、アイドル帝国・ジャニーズのタブーに切り込んだからだ。

 まずは、私が身を以て体験したメリー喜多川という傑物について、しっかり記録しておきたい。今となってはますます貴重となった、6年半前に行われたメリー氏への「5時間インタビュー」を振り返る。

 15年1月13日正午、私は2名の記者とともに乃木坂の旧ジャニーズ本社を訪れた。19年1月に嵐の活動休止会見が行われた現社屋は地上6階地下3階の要塞のような巨大ビルだが、当時の社屋は3階建てで「J&A(Johnny & Associates)」のロゴが入った青いキャノピーが設えられたエントランスや、白壁から突き出した半円の出窓が可憐な、こぢんまりとした建物だった。

インタビューが行われた旧社屋 ©時事通信社

「君たち、メリーさんに会えるなんてラッキーだよぉ」

 受付を済ませた我々3人が2階の応接室で待機していると、先方の顧問弁護士である矢田次男氏が入ってきて、やけに明るい調子でこちらに声を掛ける。“芸能界の守護神”として知られる有名弁護士だ。