昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2021/09/22

source : 提携メディア

genre : エンタメ, 芸能, 社会

でも、そこで芸人を辞めて普通に働こうと思っているというのを奥さんに報告したら、「まだ(芸人を)めちゃくちゃやりたそうな顔してるよ」と言われたんです。それならもう少しやったほうがいいんじゃないかなと思って。ピン芸人を2年くらいやってみて、ダメだったら辞めようかなと。

──やっぱりピン芸人は難しいだろうというのがあったんですか?

安村 難しいだろうなというのがあって、実際にやってみたら、本当にめちゃくちゃ難しかったです。想像の何十倍も難しかった。単純にネタもウケないし、コンビでやっていたときの感じでやっても、ツッコミがないから伝わらないし。コンビでやっていたときのお客さんもだんだん離れていくし。

これは厳しいなと思ったんですけど、どうせ2年でダメだったら辞めるんだし、とりあえずやりつづけてみようと。そんなときに全裸ポーズのネタがふと浮かんだんです。

──あのネタは思いついたときに手応えはあったんですか?

安村 めちゃくちゃありましたね。思いついたときは「これは来た!」と思って、知り合いの人にネタのときに流す曲も作ってもらって、単独ライブでやったんですよ。でも、そこではお客さんがちょっと引いていて、あんまりウケなくて。

今でこそ当たり前になりましたけど、裸になるだけでもちょっと引いてしまうところはあるし、当時はストリップ劇場みたいなピンクの照明にしていて、髪型はオールバックで「裸に見えるぜ~」ってスギちゃんみたいなしゃべり方だったんです。

でも、ネタには自信があったから、ほかの場所でやるときに普通の明るい照明でやったらウケたんです。そのときに「いやらしい感じじゃなくて明るくやったほうがいいんだな」と気づいたんです。

大ブレイクから一転、世間からの痛烈批判

 

──あのネタが有名になるきっかけになった番組はあったんですか?

安村 きっかけはフジテレビの『バイキング』ですね。当時は情報番組じゃなくてバラエティ番組だったんですけど、そこでネタをやったらめちゃくちゃウケたんです。それから『バイキング』には毎週呼ばれるようになって、ほかの番組にもどんどん出られるようになりました。