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「カープのユニフォーム五分袖化問題」に、長野久義は影響を与えているのか

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/10/08
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 10月6日現在、カープはセ・リーグ5位である。私がカープファンになった1990年以降、最終成績が5位だったシーズンは実に12回にも上るため、割と馴染みのある数字ではある。しかし私の心の中には、どこかしら「この順位で申し訳ない」という気持ちが引っかかっている。誰に対しての申し訳なさなのか。長野久義に対してだ。

 カープがリーグ3連覇を果たした2018年オフ、巨人にFA移籍した丸佳浩の人的補償として、長野はカープに加入した。人的補償が決定した直後のコメントで、長野は「3連覇している強い広島カープに選んでいただけたことは、選手冥利に尽きます」と語った。しかしそれ以降、カープは優勝から遠ざかっている。丸が移籍先の巨人で優勝に貢献し「ひとり5連覇」などと表現される一方で、長野が加入してからカープは優勝できていない。あの時「強いカープ」と言ってくれたのに、申し訳ない、という気持ちに苛まれる。

プロ野球とユニフォームの袖の歴史

 ところでカープ入団会見時に、用意されたユニフォームを羽織った長野の姿を見て、ふと気になったことがある。「なんか、袖、長くないか」と。

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 これまで、ユニフォームの袖というのは半袖が主流であった。というより、私が野球を見始めた1980年代後半には半袖の選手しかいなかった。ところが近年では、肘が隠れるくらいに長い五分袖、下手をすると七分袖くらいの長さのユニフォームを着用している選手がいる。先ほど「半袖が主流」と言ったが、野球黎明期~1950年代のユニフォームは総じて七分袖くらいだったわけで、ある種の原点回帰と言ってもいいのかも知れない。

 袖の長さについては野球規則に「各プレーヤーのユニフォームの袖の長さは、各人によって異なっていてもよいが、各自の両袖の長さは、ほぼ同一にしなければならない。」(3.03(e))と規定されており、デザインさえ統一されていれば袖の長さは個人の自由、ということになる。日本ハム時代の新庄剛志のように袖を短くする方向を選ぶ選手もいるが、多くの選手は袖の長さを変更する場合に長くする方向を選ぶ。では彼らはなぜ五分袖を選ぶのだろうか。

五分袖ユニフォームの気になる点 ©オギリマサホ

 そもそも黎明期の七分袖は、ユニフォームの素材が伸縮性のない生地であったため、ある程度ゆとりをもたせなければならないが故のデザインであった。ところが1960年代に伸縮性のあるニットがユニフォームに採用されるようになると、袖はどんどん短くなっていった(日本で初めてニット製ユニフォームが採用されたのが、1968年中日の「袖なしユニフォーム」というのも象徴的である)。

 ところが2000年代に入って、袖を長くする選手が現れ始める。2002年、前年までの中日監督時には半袖だった星野仙一のユニフォームの袖が、阪神監督に就任した際に五分袖になっていたのは印象的な出来事だ。大リーグで五分袖の着こなしが流行していたという背景もあり、恐らく格好良さを求めて、次第に日本球界でも五分袖の選手が増えていったのだろう。

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